2012年8月26日 |
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どこへ行く同和研修 B芸能界返り咲きへ強い意欲 |
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まるで栗原の芸能界復帰が部落差別解消の証であるといわんばかりの口ぶりだった。 栗原がこの日の講演で語ったのは、人気絶頂のやり手女性プローデュサーだった栗原が、猿回し師・村崎太郎との結婚、「カミングアウト」(太郎が部落出身者であることを公言したこと)で、根深い部落差別によってテレビの第一線から一気に外されてしまったというストーリーで貫かれているのだが、これまでに栗原自らがメディアに語ってきた内容とは辻褄が合わない部分が少なくない。 女性のキャリアとライフスタイルをテーマにした朝日新聞の「ジョブラボ」というインターネットサイトに2010年3月16日、栗原は登場し、こう答えている。 「ドラマのプロデューサーは、40代になると肩叩きをされます。(略)覚悟はしていたけれど、本当に辛かった。がむしゃらに働き続けてきた私にとって、ポジションを奪われるということは、生きる軸がなくなることですから。いっそ会社を辞めてお見合いでもしようかと悩んでいた時に、人間と動物をテーマに、ドラマを1本作ってほしいと言われた」。 このドラマとは栗原が講演で再三紹介している太郎と出会い結婚のきっかけとなった「太郎次郎」の猿回しをテーマにしたドラマのことである。 さらに栗原は続ける。「私はとてもわがままで、他人から与えられたお題でドラマを作ることが嫌い。これまで、そういう話はずっとお断りしていました。しかも、私は動物が大の苦手。でも今の立場で断ったら、本当に会社を辞めなければいけなくなる(略)」 このように栗原は、40代になり、心ならずも会社から肩叩きにあい、不本意なドラマを作らされるという失意のどん底にあった自分を率直に語っている。 栗原の言葉からは栄枯盛衰が常のテレビ業界の厳しさが滲み出るが、重要なのは、太郎と出会う以前から、プロデュサーとしての栗原の居場所はフジテレビにはすでになく、太郎との結婚・カミングアウトで「干された」というものとは事情が異なるということである。 太郎との結婚前から、脇に追いやられていた栗原が、太郎と共に「カミングアウト」をテコに再浮上を仕掛けたが、思い通りにならなかったというのが事実経過である。 「何としても芸能界の真ん中に返り咲く」。頑張るのはそれぞれの考え方だろうが、それを部落差別にこじつけて利用するから話がおかしくなる。芸能界で思うように出番がないのが「部落差別があるから」というような目線では、人々の心はつかめないのではないか。 栗原が「部落差別」への過剰な自意識、呪縛から自由になり、ありのままを見つめて、その豊富な経験と才能を、多くの人々のための仕事に活かしてほしいと願わずにはいられない。(中田宏)(2012年8月26日 高知民報) どこへ行く同和研修 Aスルーされたカミングアウト(8月12日) どこへ行く同和研修@「犠牲だった太郎との結婚」(8月5日) コラムアンテナ 村崎太郎のカミングアウト その後 (2011年7月24日) |