2012年8月5日

どこへ行く同和研修@「犠牲だった太郎との結婚」

 
講演する栗原美和子氏(7月19日、高知市)
「栗原美和子個人を犠牲にしてでも、公人として成し遂げる。結果を残すためには個人を犠牲にしてもしょうがないと思う。それが私の悔いのない生き方だ」。

7月19日、高知県などが主催した第39回「部落差別をなくする運動」強調旬間啓発事業で、元フジテレビ・ドラマプロデューサー(現在はジュピター・エンタテインメント社員)の栗原美和子氏(以下敬称略)が行った講演のクライマックス、涙ながらの言葉。栗原は猿回し師・村崎太郎の妻として知られる。

太郎は昨年、この同じ行事で、自らが被差別部落出身者であることを「カミングアウト」した経験について話し、その問題点を本紙が記事にした経過がある。

冒頭の栗原の言葉は、太郎との結婚に踏み切った時の彼女の心情を語る場面だが、会場の500人ほどの聴衆は静まり返った。

その言葉を聞いて耳を疑った。栗原にとって、太郎との結婚は、「犠牲」だったのかと。

考えれば、これまで栗原は自らの著作で「太郎が被差別部落出身者だから結婚した」と繰り返しており、自分を犠牲にして「部落民」と結婚したというその論理は一貫しているのかもしれない。

彼女の目線は太郎を、同じ対等な人間としては見ていない。

犠牲とは=生け贄、ある目的のために命を捨てることを言う。対等な男女が結婚し、家庭を築こうと決意した時、「犠牲」=自らを殺す、などという言葉は出てこない。互いに「生きる」ために結婚するのである。口が滑った言い間違いなどではなく、彼女の心情の奥深いところを流れる本音だろう。

栗原は、人間・太郎を真っ直ぐに見るのではなく「被差別」、「部落民」というレッテルに目を奪われている。そして今も差別に怯える哀れな存在としてとらえ、自ら「橋の向こう側に渡る」(結婚して部落民の側に行く)ことで自分
を「殺す」。

何という尊大な遅れた意識だろうか。

1969年に同和対策特別措置法が施行され、同和対策が集中的に取り組まれて、少なくない問題を孕みながらも、大局的には「部落」の実態は急速に消え、2001年度末には特別措置法が役割を終えた。

若い世代にかつてのような意識はほとんど見られないし、社会が偏見を許容する状況もない。あるのは誰が何の意図で書いているかも分からないインターネット上の匿名の落書きばかりである。

今日、旧同和地区の壁に関わりのない結婚は当たり前だ。時に困難が生じることがあっても、大半はそれを乗りこえ、封建的な因習などに囚われず生きている。

しかし、栗原は「部落差別は根深い、必ずついてまわる」とかつての時代に懸命に引き戻し、自らの「犠牲」の重さを強調する。

栗原と太郎夫婦の時代錯誤な認識を、これ以上とやかくは言わない。考え方はそれぞれだろう。

問題は、このような講演を260万円の県費を使って実施し、30万円もの謝礼を支払う目的。講演は研修扱いとされ、多くの県職員が勤務で動員された。高知県は県民や職員にいったい何を学ばせたいのか。

昨年の太郎の講演と同様、栗原の問題意識は芸能界という特別な世界の内輪話でしかなく、テレビ番組に出た、出ないという類の話に終始する。県民の生活とは全くの別世界でしかない夫婦の話を、2年も連続して県民に聞かせる意味が分からない。

講演を聞いた県職員からは、「展望がない暗い話。これではいかん」という声が聞かれる一方で、何の問題点も感じない反応もあった。本気で彼らがそうとらえているならば、県民を「啓発」する資格などはないということを指摘しておく。(中田宏)

※栗原は2007年に猿回し師・村崎太郎と結婚し、翌年太郎の出自を明らかにした私小説を幻冬舎から出版。太郎の父・義正(故人)は周防猿回し復活に尽力し、全解連山口県本部副委員長、日本共産党光市議などを務めた。叔父の勝利(故人)は全解連や全国人権連の副議長だった。(2012年8月5日 高知民報)

コラムアンテナ 村崎太郎のカミングアウト その後 (2011年7月24日)