連載  百条委と知事選の取材メモから
                       2度の選挙で明らかになったものは


H笠氏が百条委で再び証言 ホテル佐渡の女将も


   2004年1月15日の証人尋問で証言する笠誠一氏  

横矢忠志・和住工業社長の尋問を投票日前に押し込んだにもかかわらず2003年11月30日の県知事選で橋本大二郎氏が4選を決めたことから、「疑惑」を追及する自民党県議団や県民クラブの一部議員からは「まだやるのか」という脱力感も感じられましたが、百条委は続々と証人尋問を続けていきます。

2004年1月15日の百条委では、橋本氏の1期目の選挙(91年)の「事務局長」・笠誠一氏(81)、同年の選挙の前後、笠氏が活動の拠点としていた「ホテル佐渡」(高知市大川筋)社長の秋山武子氏(72)の尋問が行われました。

笠氏が県議会で発言するのはこれで3回目ですが、正式な証人としては初めてのことです。

■二転三転

笠氏は高知新聞、「笠メモ」、過去2回の議会での発言(2003年10月3日の議会運営委員会、10月8日の企画建設委員会)で裏金を調達したのは94年(平成6年)であり坂本ダム工事の契約後だったと主張していましたが、今回の証言でそれは間違いで、橋本知事の初当選直後の92年(平成4年)1月から3月にかけて(坂本ダムの契約前)だったと時期を2年も変更しました。

横矢社長との証言との矛盾も露呈しました。橋本知事に横矢氏が4選不出馬を迫ったとされる2003年7月8日の知事室でのやりとりの際に見せた「メモ」について、横矢社長は「笠さんから預かった」、笠氏は「メモは渡していない」。

裏帳簿を選挙事務所前で焼いたと述べていたことについては、笠氏が焼いたとする92年4月には選挙事務所はすでに壊されて存在しなかったことが指摘されたため、今回の証言では「焼いたのは裏帳簿ではなく、金銭の流れを書いたメモ。選挙事務所で焼いた日時は91年12月1日」と訂正(後日、焼いたのは選管報告に記載できない領収書で場所はホテル佐渡の焼却炉と小島盛治氏に再度訂正されるずさんさ)しました。

この時には注目されませんでしたが、後日重大問題として浮上したのが、裏金の授受があったとされる92年には「坂本ダムの工事に関して動きがあったことは全然知らなかった」と述べたことでした。笠氏は2004年8月5日の再証言でも同様に「裏金」は坂本ダム受注の見返りであることを否定しました。lこのことは2003年10月1日にセンセーショナルに高知新聞が報じた「坂本ダムの落札者が決まっていたのをひっくり返して裏金を出させた」という「疑惑」の中心的な筋書きがデタラメだったことを笠氏自身が認めたことになります(この「誤報」について高知新聞のコメントは未だにありません)。

笠氏の証言は、重要な点が証言のたびコロコロと変わり、到底信用できるものではありませんでした。笠証言のいい加減さは、後日さらに明らかにされることになります。

また笠氏から企業からの「裏金」の授受や返済について橋本知事が知っていたことを裏付ける証言は出ませんでした。

■「ホテル佐渡」事務所に「天の声」画策

「ホテル佐渡」社長の秋山氏の証言は、笠氏が建設会社からの「裏金」など闇の部分にかかわっていたことを一定裏付けるものでした。笠氏は91年夏から約4カ月、同ホテルに滞在していましたが、宿泊料金を支払ったことは一度もなく、秋山氏と温泉旅行やドライブに何回もでかけ、尋問の前日の2004年1月14日にも笠氏は同ホテルに宿泊するなど、両者が密接な関係にあること、笠氏は91年12月の知事選後から約3カ月間、「ホテル佐渡」501号室を借りて事務所にしていたこと、熊谷組四国支店の営業部長などの建設会社社員が笠氏を「先生」と呼び「しょっちゅう来ていた」と証言しました。

笠氏は92年1月26日に「誠橋会」結成総会を新阪急ホテルで開き、出席した県内外の建設業者を前に羽織袴で「橋本知事の窓口になる会だ」とあいさつ(すぐに知事側の指示で活動停止)していましたが、秋山氏の証言によって選挙直後から笠氏が「ホテル佐渡」を拠点に県公共事業を仕切るフィクサーになろうと動いていた様子が浮き彫りにされました。(中田宏)