連載  百条委と知事選の取材メモから
                       2度の知事選挙で明らかになったものは


22 問われたメディアのあり方(最終回)

長く続けてきた連載もいよいよ最終回になりました。最後に今回の「疑惑」とメディアのあり方について書いておきたいと思います。橋本大二郎県知事は、2004年10月8日に県議会で辞職勧告決議が可決した直後、辞表を提出して県庁を去る時、頬を紅潮させて「必ず帰ってきます」と言残しましたが、選挙を終え、言葉通り県庁に戻ってきました。2003年9月の「依光質問」に端を発した「選挙資金疑惑」は、1年3カ月もの時間と、選挙による2度の県民の審判を経て、完全に決着がつきました。

「疑惑」を仕掛けた顔ぶれは、自民党県議団、県民クラブ、横矢忠志和住工業社長。演じ手は笠誠一氏の独り舞台でしたが、忘れてはならないのが「高知新聞」の果たした役割。公称部数26万部という圧倒的な影響力を持つ同紙が、「橋本県政打倒」に偏向した記事を書き続けたことが、長期に県政を混乱させました。県議会第1党の自民党県議団と、地元紙という地域の「権力者」が「意気投合」した時の怖さをしみじみ感じたことでしたが、全国紙やテレビ各社の冷静な姿勢とまったく対照的に「高知新聞」は、なぜあそこまで不可解な偏向報道に熱中したのでしょうか。

同紙の編集方針は「橋本の首を取る」というものでした。これは同社編集局長があけすけに語っていた言葉ですが、ズバリ本質をあらわしていました。現場の政治部記者からは「知事という権力者を監視するのが報道の使命だ」というような言葉もたびたび聞かれましたが、これは思い違いもいいところで、国家権力中枢である自民党のお先棒を担いで、自民党と一線を画している橋本県政つぶしに走り回るのは「権力の監視」とは無縁でしょう。

「権力の監視」のはき違えに加え、記者と一部議員との癒着、高知新聞社が不動産やレジャー施設などを多角的に経営してきた地元有力企業グループとして、橋本県政にうま味が乏しいからという指摘もありました。

「反橋本」に偏向した「高知新聞」の執拗な記事には県民的な批判が巻き起こり、購読中止やクレームが相次ぎました。知事選投票直前に「高知新聞」は、日本共産党後援会の地域組織が発行したたかだか数百部程度のニュースにまで抗議文を送りつけてきたり、全戸配布された「高知民報号外」が「高知新聞」の記事の一部を引用していたのを「著作人格権の侵害だ」と激しく抗議してくるなど相当ナーバスになっている様子がうかがえました。

橋本氏が当選を決めた直後も、「高知新聞」は「これからは私たちの提言を聞き入れてもらえるだろう。選挙勝利への貢献度を自負」などと日本共産党の塚地佐智県議の話を著しく歪め、県民に誤解を与える記事を書くなど、あいかわらずの偏向ぶりでした。同紙内部にはこの現状を苦々しく思っている記者もおり、労働組合が編集方針にクレームを付けたり、公然と編集局に異を唱える現場記者の話も少数ではあるが耳にしました。一連の「疑惑」を通じて「高知新聞」が失った地元紙としての信用を取り戻すことは容易なことではありません。高い「授業料」になったことでしょう。

■記者クラブ制度 誰もが公平に情報アクセスできる改革を

「高知民報」は今回の「疑惑」、とりわけ百条委と国分川河川敷問題について時間を割いて取材し、多くの記事を発信することができましたが、これを可能にしたのは県政記者クラブ加盟社と基本的に差別無く取材ができたことが大きな要因でした。

つい数年前までは「記者クラブ加盟社以外は写真を撮ってはいけない。録音もだめ」などと制限がかけられるのがしょっちゅうでしたので、隔世の感があります。まだまだクラブの特権は多く残されていますが、実質的にほとんど取材の障害にはならず、県庁・県教委・県議会での取材に不便は特に感じません(県警は別)。またインターネットと情報公開の進展によって、記者クラブの情報独占には風穴があいている状況があります。

今回の一連の取材を通して、定期発行の新聞とインターネットを活用(情報収集と発信)した、これからの地域の報道の方向性を多少なりとも感じることができました。今後はフリージャーナリストやインターネット専門のジャーナリストなど、新しいタイプの報道が増加していく可能性もあり、橋本県政と記者クラブ側が、ともに誰もが公平に情報にアクセスできる仕組み、記者クラブのあり方を真剣に考えなければならない時期にきていると強く実感しています。(中田宏)