連載  百条委と知事選の取材メモから
                       2度の知事選挙で明らかになったものは


A笠誠一氏登場


     2003年10月3日、議会運営委員会に参考人招致された笠誠一氏


2003年9月30日の「依光質問」を受けて橋本知事は「全く知らない。そのようなことはないと信じている」と答弁。1億円を笠氏に貸したとされた橋本大二郎後援会長で医師の町田照代氏もこの時点では「1期目の選挙では一切資金を出していない」と全面否定しました。

自民党県議団は議員総会で平成3年当時の橋本大二郎県知事の選挙事務局長だった笠誠一氏を参考人招致する方針を決定。反橋本色を強める旧社会・民主系の県民クラブもこれに同調し、10月3日の議会運営委員会に笠氏を参考人招致することが早々と決まりました。

この時点で明らかになっていた「物証」は談合した企業名を黒塗りにした一片の「笠メモ」のみ。選挙を目前に出回る「怪文書」の域を出るものではなく、議会運営委員会で参考人から意見聴取するという変則的で強引な参考人招致は相当な“荒技”でした。

2時間に及んだ意見聴取に作務衣姿で現れた笠氏の印象は、80歳を越えていると思えない頭の回転の速さと、「俺が選挙を仕切った。大二郎は誰のおかげで当選したと思っているんだ」という自負、その後知事に疎外されたことへの強烈な私憤でした。

笠氏のこの日の証言の中では重要なポイントがいくつも示されています。

@ 証言に至った理由 橋本4選阻止のため横矢忠志・和住工業社長と依光隆夫議員と話し合って証言に立った(これは後もずっと不変)。

A坂本ダムの談合を仕切ったのは熊谷組。平成6年に3回にわけて熊谷組から資金提供を受けた(資金提供を受けたのは平成4年だったと訂正)。

B坂本ダムの談合で作った資金で町田氏に返済することを書いたメモを橋本知事に知事室で渡した(談合で資金を作ることは知らなかったと訂正。知らないのにどうやってメモを渡したのかという矛盾)。

C裏帳簿を選挙事務所で焼いた(矛盾点を指摘されるとホテル佐渡の間違いだったと訂正)。

D資金の流れを証明する物証はない(銀行を調査する中で一部明らかになる)。

E他の企業名は明かせない(その後明らかにした)。

現時点から振り返ると、笠氏が証言を繰り返す中で次々と主張を変えていったことが分かります。明らかな「創作」もあり、この笠証言のいいかげんさに、百条委は最後まで翻弄されることになります。
 
意見聴取を終えた3日の夜には、絶妙のタイミングで松尾徹人氏が高知市長を辞し知事選に出馬するというニュースがテレビのテロップで流れました。自民県議団と県民クラブに担がれた松尾氏と、「高知新聞」はまるで一体となったかのようにヒートアップしていきます。(中田宏)

※情勢が急転しましたので、本連載は知事選後まで休みます。