連載 百条委と知事選の取材メモから
2度の知事選挙で明らかになったものは
O橋本知事が証人席に
2004年8月5日、百条委の最後の証人となった橋本大二郎県知事の尋問には県民の高い関心が示され、県議会には傍聴を希望する多くの県民が訪れました。中には右翼団体の構成員と思われる者が相当おり24人の定員をオーバーしましたが、開会直前に元木益樹委員長の判断で臨時に椅子を増やし全員が議場に。過去は同様のことがあっても杓子定規にカットしており(議場にスペースがあっても)、真意がどこにあるかはさておき、柔軟に対応する前例を作ったことは意味がありました。
橋本知事はこれまで「疑惑」の指摘に「12年前のことを調べても分かるとは思えない」と「不関知・不関与」を主張。自民党県議団・県民クラブ・高知新聞らはこの知事の姿勢を「無責任だ」と批判していました。解明に積極的とはいえない橋本知事の姿勢は、攻撃の口実を与えた面は確かにありました。
尋問で資金の流れについて問われた橋本知事は「1期目の選挙は高知に着いたその日から候補者として走り回っており選挙資金については知らなかった」、「資金提供の報告を受けたことはない」と、笠氏の「報告していた」という言い分と真っ向から対立。
その一方で「表に出しにくい領収書の説明を受けていても不思議ではない」と一部不適切な支出があったことを実質的に認め、町田氏からの金の貸し借りについては「自分の選挙事務所でこのような金のやりとりがあったことには倫理的責任を感じる」と反省の弁を述べました。
橋本知事の証言では業者と癒着して「天の声」になろうとしていた笠氏を排除した経過についても語られました。「(笠氏の)選挙が終わってから業者とのつきあいの話を聞いて、このままでは将来問題を起こすという強い危惧と不安を感じて早々に高知から帰ってもらった」、「(笠氏が)企業から金を受け取ったという心証を強くするようになり、そういうような周囲の環境があった」、「笠さんが使っているものはあの人からの提供ではないか」(笠氏が500万円の高級乗用車を乗り回していたことを指していると思われる)。当選して4カ月後の92年3月頃には、東京で「そのようなことが背景で行われていたのであれば、そのことを明らかにして、自ら職を辞すべきだと考え、弁護士の前で笠氏に話を聞いた」ことについても経過に触れました。橋本知事が当選直後に辞職を考えたというのは相当な決意のはず。「具体的な内容については覚えていない」と言いますが、この期を境に笠氏は知事から徹底的に排除されていくことからも、知事は笠氏の腐敗行為の詳細をこの時点で知ったのかもしれません。
予定の2時間が過ぎ質問の締めくくりに反知事派の頭目的存在・元木委員長が総括質問に続いて異例の2回目の質問。両者の直接対決は火花が散るような激しさでした。元木委員長はこの10カ月間のうっぷんを晴らすかのように「笠氏の電子手帳から出てきた記録の信頼度は何%か」、「証人はどれだけの信憑性を持っているのか」、「証人は知っている事実を述べていない。すべて否定した」などという「質問」を激しく橋本知事に浴びせました。橋本知事は「事実があるかないかを答えるのがこの場。質問のもとになっている文書の信憑性があるかどうかを私に答える義務はない」と応酬。傍聴席から元木委員長と関係の深い高橋徹・高知市議や右翼団体の構成員と思われる人物が「ちゃんと答えろ」と野次で元木委員長を援護していたのが印象的でした。押し問答の末、元木委員長は「いとこに橋本○○という(実際には実名)いう人物はいるか」と不気味な問いかけをして尋問を終了(知事は存在を否定)。10カ月間のも及ぶ証人尋問の締めくくりに「ふさわしい」なんとも後味の悪い尋問となりました。(中田宏)※上の写真は証言する橋本知事
戦闘服姿で橋本知事への抗議文を読みあげる右翼団体の構成員