連載  百条委と知事選の取材メモから
                       2度の知事選挙で明らかになったものは


N笠氏を再び尋問 

 笠氏が自らの口座に4000万円もの大金を送金していたことが発覚したことから笠氏の再尋問を要求する声が百条委内で強まり、再尋問は避けたい自民党や県民クラブでさえ否定できない雰囲気になってきますが、まるでタイミングを合わせたように笠氏は2004年6月7日の百条委に軽度の脳梗塞で入院したので尋問には応じられないと通告してきました。 

正直この時は「もう再尋問はできず、フェードアウトしてしまうのか」と危惧しましたが、後日8月5日に笠氏と橋本知事を証言してすべての証人尋問を終えることが決まりほっとしたことでした。

8月5日の尋問は昨年から10カ月も続いてきた百条委による調査の大きなヤマ場であり、どのような証言をするのか県民の関心が集まりました。この時期を前後して橋本知事を敵視する右翼団体の「街宣」も活発化。県議会に「戦闘服」姿の構成員が大挙押し寄せたこともありました。

8月5日の尋問はまず笠氏からはじまりました。8カ月ぶりに姿を見せた笠氏は青いサマージャケット姿で、「病み上がり」からか、少しやつれて見えましたが、あいかわらずの「笠節」は健在でした。この日の笠氏の証言の最大ポイントは、「坂本ダム工事受注の見返りに熊谷組から資金提供を受けた」というこれまでの「疑惑」のシナリオを「資金提供を受けた時に坂本ダムの話は出ていない。最初の時点では分からなかった」と変更したことでした。

この証言変更により2003年10月1日「高知新聞」紙上の「談合で落札者が決まっていたのをひっくり返して金を出させることにした」と自ら述べたインタビュー記事や、繰り返し証言してきた「熊谷組四国支店長の間島氏に相談したら坂本ダム工事の受注で金を出すと提案を受けた」との発言(間島氏は平成4年3月に死去)はデタラメだったことになります。「疑惑」の核心部を笠氏自ら最後の尋問で否定したのです。

一方で「町田照代氏や熊谷組から資金提供してもらうことは橋本知事に報告していた。知事が知らないことはあり得ない」と強調し、坂本ダムと直接関係ははないものの、熊谷組から1億円の資金提供を受けることを橋本氏は知っていたはずだという主張は崩しませんでした。

笠氏が自分名義の口座に合計4000万円を送金していたことについて、笠氏が2月に百条委に提出した「弁明書」とこの日の証言をあわせて分析すると、少なくても1000万円を笠氏が私的に流用していた疑いが濃厚であることが分かります。笠氏と自民党県議団にとってこの問題は最大のウィークポイントであり、触れられると過敏に反応しました。笠氏は「そんな質問は迷惑千万だ」と田頭文吾郎委員(共産緑心)に食ってかかり、元木益樹委員長は、委員の追及に「あなたの質問はわかりにくい。質問を変えてください」などと繰り返し割って入り笠氏を徹底して援護しました。

笠氏が県議会で発言するのはこれで4回目になります(2003年10月3日議会運営委員会、同年10月9日企画建設委員会、2004年1月15日百条)。笠氏の証言は次々と変遷していきますが、後になるほど証言の精度はあがっていきました。2003年10月1日の高知新聞インタビューで打ち上げた「疑惑」のシナリオは、事実とかけ離れたものでしたが、その後の百条委の調査で判明した金融機関の記録などにあわせて、だんだんと証言が正確な方向に修正されていったのでしょう。8月5日の百条委での笠氏の証言はかなり本当のことを言っているのではないかという印象を持ちました。(中田宏)