2007年11月18日

連載「橋本県政の16年 県民本位の改革の行方」
M市町村合併への対応
本山町で「6市構想」を説明する橋本知事(2007年5月16日)
16年間の橋本県政の後半、大きな県政課題として浮上したのが市町村の「平成の大合併」でした。

国は1995年の合併特例法「改正」で、合併へのハードルを大きく下げ、合併特例債という「アメ」をぶら下げて合併を強力に推進する施策をとります。

当初の橋本知事は、合併の判断は市町村の自主性に任せるのが基本スタンスで、住民の意思を尊重すべきであるという認識を示していました。合併に伴う合併特例債を使っての新庁舎建設など、ハコ物需要を期待する自民党県議団からは、繰り返し「県はもっと積極的に合併に関与すべきだ」という圧力がかけられていました。

アクセル発言

橋本知事に「選挙資金疑惑」での攻撃が続く2004年。市町村合併をめぐっても大きな「事件」が起きます。県は2002年から、それまで設置していなかった(富山県と高知県だけ)合併支援本部を立ち上げて、知事の「住民の意思を尊重する」という発言とは裏腹に、合併推進への指導的な動きを強めるようになり、その強引な法定協議会設置への誘導などには、市町村から批判の声があがるようになっていました。

しかし県下全域で立ち上げられた合併構想には、住民投票やアンケート、首長選挙などで住民から強い反対の意思が示され、ドミノ現象のように次々と頓挫。2004年に順調に合併が進んでいるのは伊野町・吾北村・本川村グループ、東津野村・葉山村グループ、高知市・鏡村・土佐山村グループにすぎない状態でした。

2004年5月。遅々として合併が進まない現状の中で、橋本知事はこれまで市町村の自主性を尊重するというスタンスから、「ことここにいたっては合併へアクセルを踏む」と大きく方針転換し、知事自身が直接町村に出向いて住民に合併を訴えます。しかし、知事の「説得」にもかかわらず、その後も田野町、香北町、物部村、三原村で合併を否定する住民の意思が連続的に示されました。

その後、合併特例法が期限切れを迎える間際に、強引な「駆け込み」が相次いだ結果県下の市町村は53から35まで減少することになりますが、70から20にまで減った愛媛県と比べればその違いは明らか。自民党県議は「方針転換が遅すぎた」と橋本知事を強く批判しました。

「地方の限界」

この橋本知事の方針転換は、地域の担い手として「住民力」を発揮して地域再生のために頑張っている住民から最も強く反対され、ハコ物需要をあてにする建設業者から歓迎されるという、知事のめざす県政の方向とは異質の、皮肉ともいえる状況を地域で生みだすことになりました。

この転換には、「三位一体改革」による大幅な交付税削減が強く影響しており、県・市町村も大幅な財源不足が生じ、「予算が組めない」というような状況下で、「合併しなければ生き残っていけない」という強い問題意識からのものでした。数々の「国策」に住民の立場から立ち向かった橋本県政でしたが、市町村合併については「理想を言っているだけでは地域を守ることができない」と、国の流れに飲み込まれ、現在はこの延長線上の方針として県下を6市にまとめる構想が示されています。

住民と真に力を合わせて「国策」に立ち向かうのではなく、国の理不尽な交付税削減に地方は対抗する術を持つことができないという橋本知事の思いが、今年8月の引退表明会見での「地方の限界」という発言ににつながっているといえます。(2007年11月18日高知民報)