2007年11月4日

連載「橋本県政の16年 県民本位の改革の行方」
K出直し選挙に勝利し5選

5選を決めた橋本大二郎氏(2004年11月28日)
県議会の辞職勧告を受け、橋本知事が自ら辞職したことによって行われた出直し県知事選挙(2004年11月28日投票)は、前年の選挙とまったく同じ構図となり、橋本氏と自民・民主・公明・社民や連合、「解同」らに担がれた松尾徹人との一騎打ちになりました。

選挙の重要な争点は、経済不況と国の地方交付税削減による深刻化する地方経済と県財政への対応、県民に開かれた公正な県政の前進でした。

松尾陣営が選挙中強調したのは、「橋本県政のせいで高知県が全国一の貧乏県になった」。もともと高知県の持つ不利条件や、自民・公明政権による「構造改革」と地方切り捨てに目を向けず、責任を橋本県政に押し付ける主張を繰り返しました。

選挙戦では「草の根」と日本共産党の共同がひろがり、橋本氏の@地方の主張を貫く、A財政危機の中でのメリハリ、B住民力との連携などの政策、「三位一体の改革とは名ばかりの、地方への不当な押しつけに対しては、県を代表して戦っていきます」という訴えが県民にぐんぐん浸透していきました。

片や松尾陣営は、大量の怪文書や謀略本、雑誌のネガティブキャンペーンに加え、自民党・公明党の大物国会議員が続々と高知県入りして、橋本県政は「共産党県政」であるとして打倒を呼びかけました(麻生太郎総務大臣、谷垣禎一財務大臣、冬柴鉄三公明党幹事長、武部勉自民党幹事長、浜四津敏子公明党代表代行、安倍晋三自民党幹事長代理などが来高)。

浜四津公明党代表代行は「なぜこんな停滞したよどんだ高知県になったのでしょうか。それは橋本県政が共産党主導の県政だからでございます。橋本県政は共産党県政でございます」(2004年11月27日高知市中央公園)

そして11月28日の投票日。得票結果は橋本氏が22万6428票、松尾氏が19万2745票で橋本氏が5度目の当選を決め、2003年9月の「依光質問」から始まった「橋本下ろし」に明確な県民の明確な審判が下りました。

県警捜査費問題

橋本知事の5選を受けて翌2005年は、露骨な橋本下ろしは表面上は姿を潜めました。この年大きな問題になったのが県警の捜査費の裏金疑惑問題。7月5日に橋本大二郎県知事が、それまで消極的だった知事による特別監査を請求。同月7日には県議会が、特別監査を求める動議を全会一致で可決し、知事と議会の総意で、県警の捜査費について疑惑解明に取り組むことになりました。

翌年2月22日、県監査委員は、県警の捜査費執行(12年から16年間)についての監査結果を報告。「1800万円の違法・不当な不適切な支出である」と断じ、県警は追い込まれます。県警は監査を受ける時に、監査委員に対し領収書を黒塗りにして全部見せないという非協力的な態度をとり続け、県民から強い批判を浴びることになります。

しかし県警は「捜査上の機密」をタテに最後まで黒塗りをはずすことはせず、組織的な裏金づくりを否定しながら、単なる事務手続き上のミスがあったとして、一部を自主返還することで決着をはかろうとしました。

橋本知事は「地方自治法に基づく知事の調査権」を行使して、疑惑解明に迫ろうとしましたが、徹底的に非協力を貫く県警に対し、決め手を欠き、消化不良のような形で、県警捜査費問題には幕が引かれることになりました。

しかし、12年度に3424万円(執行率99・9%)執行された県費捜査費が、17年度の実績で571万円まで低下するなど、実質的には県警側も否を認めて改善したというメッセージを発する予算状況になっているのが実態です。(2007年11月4日高知民報)