2007年10月28日

連載「橋本県政の16年 県民本位の改革の行方」
J辞職勧告決議可決 出直し選挙へ

辞職勧告を決議した県議会(2004年10月8日)
2003年11月に橋本知事が4選を決めたことことから、「4選阻止」という政治的動機が意味を持たなくなり、百条委の反橋本派委員からも嘆きが聞かれる状況が生まれますが、2004年1月15日、笠誠一氏が正規の証人としては初めて証言に立ちました。

笠氏はここで、これまで2回の議会で行っている発言を自ら覆し、「受け取った資金は坂本ダムの見返りではない」と主張。「裏金」の受領時期も94年から92年へと大きく訂正するなどいい加減さを露呈。同時に笠氏が橋本知事を利用して、公共工事を差配する「天の声」になるべく画策していたことも明らかになりました。

92年3月、笠氏が高知信用金庫本店から東京産業信金穴守支店の自分名義の口座に2000万円もの大金を自ら送金していた記録も明らかになり、笠氏が勝手に裏金を集め、ネコババしていた可能性を指摘される有様となりました。

同年1月29日の尋問では、笠氏が選挙資金を借り、裏金で返済したと述べている橋本大二郎後援会長の町田照代氏が証言に立ち、「選挙資金の提供は一切ない」と断言しましたが、その後、町田氏と笠氏の間の貸借が発覚したことから、町田氏の偽証が明らかになりました。

同年8月5日には橋本大二郎県知事が証人になり「1期目の選挙は高知に着いたその日から候補者として走り回っており選挙資金については知らなかった」と選挙資金には関与していないこと、業者と癒着して「天の声」になろうとしていた笠氏を排除した経過については「(笠氏の)選挙が終わってから業者とのつきあいの話を聞いて、このままでは将来問題を起こすという強い危惧と不安を感じて早々に高知から帰ってもらった」などと証言。この橋本知事の証言を最後に百条委は尋問を終了しました。

1年間に及ぶ百条委の調査で判明したのは、笠氏の周辺に不可解な金銭の流れがあったこと、笠氏と熊谷組との間に癒着があったことなど。坂本ダム工事が談合だったのか否か、「裏金」が笠氏に渡されて選挙資金に充当されたのか、橋本知事がこれらのことを知っていたのかなど「疑惑」の核心部分については何ら証明されませんでしたが、百条委は「談合が行われたと認めざるを得ない」という内容の報告を賛成多数でまとめ、9月21日の県議会本会議で賛成多数(反対は日本共産党と緑心会と県政新風会)で承認されました。
 笠氏が自口座に送金していた物証

   
辞職勧告決議を可決

2004年9月県議会では、百条委報告を利用した橋本知事への攻撃がエスカレート。中西哲議員(自民)「やましいことがなければ、何ゆえ笠氏を名誉毀損で訴えなかったのか」、浜田嘉彦議員(県民クラブ)「知事か笠氏のどちらかが真っ赤なうそをついている。県民に対してどのような方法で潔白を証明するのか」、森田英二議員(自民)「ここまで県政への信頼を失墜させた責任は、もはや道義的なものだけでは済まされない。疑惑を引きずったまま現職に踏みとどまることが許されるはずはない。この際知事職を辞める気はないか」。

この時期、自民・県民クは知事不信任案を提出する動きを活発化させたものの、拘束力のないトーンダウンした辞職勧告決議案を提出することに落ち着き、10月8日の9月県議会最終日に採決されることになり、この動きに対し、橋本知事は「可決されれば辞職して再選挙で信を問う。いつまでもこうした事態が続くことは県民にとって幸せなことではない」と表明。予想外の橋本氏の「逆襲」に一気に緊張が高まります。
10月8日の本会議の採決では、賛成が自民15、県民ク4、公明3、森祥一議員(計22)、反対が21県政会6(朝比奈利広、佐竹紀夫議員が退席)、日本共産党と緑心会6、新風県政会3計(15)で可決。決議が可決された直後、橋本氏は間髪を入れず議長に辞表を提出し、異例の連年知事選へと突入していきます。想定外の知事辞職に、反橋本派はさんざん「辞めろ」と言っておきながら、一転して「辞めるのは無責任」、「選挙費用が無駄」との大合唱に変わりました。(2007年10月28日高知民報)