2007年10月21日

連載「橋本県政の16年 県民本位の改革の行方」
I「選挙資金疑惑」の中の4選

議運委で証言する笠氏(2003年10月3日)

橋本県政3期目の最終盤、11月30日の知事選挙を目前にした平成15年9月30日、県議会本会議質問で自民党の依光隆夫議員(当時)が「ここに平成3年の選挙におきまして知事が特別の業者などから選挙費用を調達したとの疑惑を示す文書があります。選挙参謀であった笠氏からの直筆の文書であります」と後に「笠メモ」と呼ばれる文書を読み上げました。

質問終了直後には、県民クラブの江渕征香議員が「特別委員会および百条委員会の設置を求める」と動議を提案。この時点では何の裏付けもない一片の文書でしかない「笠メモ」ですが、軌を一にした「高知新聞」の報道姿勢とあいまって既成事実化され「疑惑」はどんどん先走っていきました。

同年10月3日には議会運営委員会への参考人招致という変則的な形で、「渦中の人」である笠氏本人が、@橋本4選阻止のため横矢忠志・和住工業社長と証言に立った、A坂本ダム工事の談合を仕切ったのは熊谷組で、この熊谷組から平成3年の初選挙時に資金提供を受けたという内容の証言をしました。

笠証言に合わせて同日、現職の高知市長である松尾徹人氏が、突如として知事選への出馬を表明。横矢社長、自民党県議団、高知新聞による包囲網が幾重にも固められた満を持しての総攻撃でした。

国分川問題
 疑惑の発端となった国分川右岸の土地
笠氏が、今回の行動にあたって相談したのが横矢社長でした。同氏は18年に橋本知事が書いた著書「融通無碍」に「県政への書きかけの総合商社のような人物」であると評されていますが、横矢氏は高知市南久保の国分川右岸の土地問題について県の判断を変えるようにという働きかけを15年7月8日に橋本知事にしたものの、受け入れられず反発し、「(笠メモ)のようなことが12年前にあったんだぞ、4期目のことは考え直してほしい」と知事に圧力をかけ、笠氏と組み、依光県議に話を持って行ったという経過がありました。

そして知事選挙わずかに40日前である10月10日、自民、県民クラブ(旧社会党系)、公明の賛成で県議会に百条委員会が設置されました。知事選で橋本知事にダメージを与える狙いがあまりにも見え透いており、全会一致で疑惑解明にあたる合意をした「闇融資」事件とはまったく異なる、極めて政治的思惑が濃厚な百条委設置でした。「日本共産党と緑心会」は、保守系親知事派の「21県政会」とともに「知事選での政治利用のために設置をゴリ押ししたことは議会の権限の乱用。県議会の歴史に汚点を残す」と設置に反対しました。

百条委委員長には、横矢社長と深い関係を持つ元木益樹議員(自民)が就任。しかも10月23日には横矢社長と和住工業から自民党県連へ2500万円という突出した巨額の献金が行われていました(後日判明)。このような状況の中で、元木委員長のリードにより、知事選投票日のわずか9日前、横矢氏本人の証人尋問が実施され、横矢氏に「疑惑」を強調させ橋本知事にダメージを与えようとする見え透いた委員会運営がまかり通りました。
 
橋本氏4選

11月30日に投票された任期満了に伴う高知県知事選挙は、県民に開かれた県政改革をすすめるのか、利権集団、特定勢力の言いなりになる「しがらみ県政」の復活を許すのかが問われました。 利権型の古い県政復活をめざす勢力は高知市長を投げだした松尾徹人氏を、自民県連・社民の推薦、公明(県本部支持)、民主(協力候補)、「解同」、連合まで推薦するぶ厚い布陣。県民本位の県政へと改革をすすめる橋本県政が、旧来の「自民党型政治」の障害物に成長し、存在が看過できないものとなり、県政転覆のため大きな力が働いていることが感じられました。

選挙戦で橋本氏は「圧力に負けない公正な県政」を訴え、日本共産党高知県委員会は「古い利権構造や同和行政のゆがみの復活を許さず、橋本県政での改革前進を望む」との見解を発表し独自の候補者を立てず「草の根」グループと共同して橋本県政継続に力を尽くしました。最終盤には橋本氏を攻撃する怪文書や家族を攻撃する口コミが大量に飛び交いましたが、投票結果は、橋本氏が23万3801票(得票率54・45%)、松尾氏が19万2932票(44・93%)。橋本氏が訴えた特定の団体や個人の圧力に屈しない公正な県政実現が県民に支持される結果となりました。(2007年10月21日高知民報)


※国分川右岸の土地問題は2006年、訴訟で和住側の主張が退けられ終結。その後、和住側が当該用地を買収し、転売して解決しています。