2007年9月23日

連載「橋本県政の16年 県民本位の改革の行方」
E共産党 対立候補立てず
橋本氏の3度目の出陣式(1999年11月11日)
1999年11月28日、橋本大二郎県知事にとって3回目の挑戦となった知事選挙は、日本共産党公認候補との一騎打ちとなった前回選挙とはまったく様相の違う選挙になりました。

自民党県議団は、前回まで本連載で紹介してきた橋本県政2期目の県民本位の改革の前進と利権排除に「堪忍袋の緒を切らし」、完全に橋本知事とは「絶縁」。自由党県連とともに、県農協中央会会長の所谷孝夫氏(69歳)を推薦して自民党県政復活へ本格的に乗りだしました。

この知事選挙で日本共産党高知県委員会は、橋本県政2期目の実績をふまえて以下のような方針を明らかにしました。

@自民党県政の復活を許さない、A橋本県政の弱点は県民の運動で克服に取り組み、積極面を発展させていく、B独自候補を擁立しない。

さらに浦田宣昭党県委員長(当時)は、11月11日の知事選告示にあたって、「橋本氏に一票を投ずる」という談話を発表し、自民党県政復活阻止のために橋本氏3選にむけて大きく踏み込み、「高知新聞」は「実質支援」と報道。各地域の選挙戦の現場では、「草の根」グループと日本共産党の地域組織が連携して共同する場面が数多く見られました。

この日本共産党県委の柔軟な対応は、選挙戦の核心を突くものであり、全国的にも大きく注目され、多くの県民から歓迎の声が寄せられました。

日本共産党の「勝手連」的なスタンスに対して、橋本知事は「戸惑いを覚える」という絶妙のコメント。自民党総理大臣の弟である保守系政治家としての立場を崩さず、共産党とも共同行動をとる「共闘」が成立して、選挙戦では大きな力を発揮しました。

自民党の攻撃

一方の所谷陣営は「パフォーマンスの県政でなくぬくもりの県政」をスローガンに、農協組織を上げた大動員で10月29日には県民体育館を満員にして決起集会を開催するなど抜群の組織力を誇示。橋本陣営と共産党を引きはがし、「草の根」の足を止めるために、共産党に狙いを定めて猛烈な攻撃をかけてきます。選挙戦で所谷陣営が行った演説の内容を紹介します(肩書きは当時)。

「橋本大二郎は何者か。ろくなもんじゃないんだよ。橋本は汚いやつで共産党と手を組んで嘘を言うようなことをやってきた」(田村公平・自民党参議院議員、11月11日の所谷候補の出陣式)

「共産党が参画するような県政の樹立は絶対許すことができない」(結城健輔・自民党県議、10月29日の決起集会)

「橋本パフォーマンスは政治的覚醒剤。この汚染から一日も早く県民を目覚めさせることが知事選の最大の目的」(平野貞夫・自由党参議院議員、同決起集会)

さらに中谷元・自民党衆議院議員は、農産物輸入が自由化され高知県農業が衰退しているのは、橋本知事のせいであるという、自民党政府の悪政を棚に上げた無責任きわまりない演説を繰り返しました。

選挙の結果は橋本氏が27万4670票、所谷氏が13万2541票。橋本氏が大差で三選しました。自民党県政の復活を許さないという一致点で広範な県民の共同戦線が構築され、自民党の攻撃を跳ね返し、県民本位の県政を守ったことは貴重な県民的な体験でした。(つづく)