2007年9月16日

新連載「橋本県政の16年 県民本位の改革の行方」
D非核港湾条例
宿毛湾港池島岸壁に入港した米イージス艦「ラッセル」(2006年5月24日)
1997年度から98年度にかけて、長期に県政を大きく揺るがしたのが「非核港湾条例」問題でした。

97年3月11日、県議会予算委員会で日本共産党の牧義信議員は、高知新港の開港を機に「神戸方式」(非核三原則<核兵器をつくらない、持たない、持ち込ませない>という日本の国是<持ち込ませない>を具体化したもの)を高知県の港に適用することを求めました。

答弁に立った橋本知事は「外交上は一定の問題があるかもしれませんけれども、県といたしましては、外国の艦船の入港にあたりましては、神戸方式で対応していきたいと思います」と答弁しました。

高知県内の港を「神戸方式」にすることには県民世論の後押しもあり、県議会も県の動きに同調して12月19日の12月県議会で「高知県の港湾における非核平和利用に関する決議」を全会一致で決議。その内容は「非核平和高知県宣言に基づき、高知新港の一部開港を控え、県内全ての港において非核三原則を遵守し、県民に親しまれる平和な港としなければならない。当県議会は、ここに改めて高知県の港湾における非核平和利用を決議する」というものでした。

県はこの決議を受ける形で98年2月議会に「非核港湾条例」を提出する動きをとりましたが、米軍が、核兵器搭載艦船の寄港という日米安保の核心に触れる問題であるにもかかわらず、地方自治体の判断で「神戸方式」が広がることに強い反発を示し、この意を受けた自民党と政府・外務省は、条例制定に対して猛烈な妨害活動を展開するようになります。

外務省や中谷元・自民党衆議院議員は「外国軍艦の寄港を認めるか否かは外交関係の処理に当たる国の事務であり、港湾管理者の権能の範囲を逸脱するもので、地方公共団体の事務としては許されない」と、米艦船の入港という「高度な外交事案」に地方自治体が口を出すのはまかりならんという論法を展開しました。

これに対して橋本知事は「非核三原則」は国是であり、条例化は国是を地方自治体で具体化し担保していくものであると真っ向から反論。国や自民党との論争が続きました。

橋本知事は県議選直前の99年2月県議会に「非核港湾条例」案を提案し、大きな焦点となりました。外務省や自民党の論理は、非核三原則を空洞化し、米軍のいいなりにノーチェックで核兵器搭載艦船を入港させることにつながり、自民党県議団も選挙直前に97年12月に自ら賛成した「決議」と矛盾する行動もとりづらいことから、非核証明の提出をうたう要綱を除外することで妥協できないかという動きも見られましたが、結局は外務省や自民党本部の圧力に自民党県議団が屈服したことで、条例案はなりませんでした。

橋本知事が展開した「核兵器をなくしていくことは人類共通の願い。国は基本原則として非核三原則を打ち出している。核兵器廃絶を願う国民の思いと国の基本原則を、県レベルでさらに担保していくことは、自治体として当然あるべき姿」という主張は、直接実ることはありませんでしたが、地方政治が日米安保の核心に迫り、その土台を揺るがす大きな意味を持つものでした。

一連の動きの中、97年12月県議会で決議された「高知県の港湾における非核平和利用に関する決議」は2006年5月、宿毛湾港に米イージス艦「ラッセル」が入港した時には、米軍と政府への重しとなり、形式的ではあっても、米日政府に文書で「非核証明」を提出させる力として、県土の軍事利用を許さない県民の運動の力となりました。(つづく)