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97年1月8日、日本共産党高知県委員会の旗開きであいさつする橋本知事 |
橋本県政2期目の1996年、知事の義務教育への「日の丸・君が代」押しつけ反対表明、「国籍条項」問題で県政は大きく揺れますが、この時期「土佐の教育改革を考える会」が始動したことは高知県の教育にとって歴史的ともいえる大きな出来事でした。
96年6月24日に開かれた第1回「土佐の教育改革を考える会」で橋本知事は「本県の教育界には長年のわたる対立の構図があったが、対立を乗り越えて、何をなすべきか話し合ってほしい」とあいさつ。
委員には國松勝・県教組委員長、山下正寿・高教組委員長も参加。過去の経過や立場を乗り越えて、県教委、教職員組合、保護者などが、高知県の教育をよくしていくために何をなすべきかを議論する場になりました。
以後、県教委の県教組・高教組を露骨に敵視して管理職登用から差別するような政策は影をひそめ、同組合出身者が管理職になるケースも見られるようになりました。
■「減反撤退」表明
そして97年。日本共産党が無党派層の支持の受け皿となり各種の選挙で大きく躍進する政治情勢の中で、橋本県政は多くの県民の願いに応え自民党をはじめとする国の悪政と対決する方向へと、その変化を本格的なものにしていきます。
96年12月末、日本共産党県議団と橋本知事との懇談の席上、知事は従来の減反政策からの転換を表明。「県が無理矢理減反を達成していくやり方はやめる」と述べました。知事の「減反撤退」表明は、自民党農政の核心に触れる問題であったため、農水省や自民党から猛烈なバッシングを受けることになります。また県農協中央会や全国農協中央会も知事を厳しく批判しました。一方で日本共産党の田頭文吾郎議員は「減反を強制しないという知事の決断を高く評価する」とコメントしています。
■再び「君が代」をめぐって
97年2月1日に高知市内で開かれた「人権・同和問題啓発フェスティバル」の討論会で橋本知事は、個人的見解としたうえで「日の丸はともかく『君が代』が国歌であることはおかしいと思う。戦後50年がたって、もうそろそろ変えることを国民運動として起こすべきではないかと思う」と述べました。
知事発言は「君が代」は君主制のもとで歌われてきたものであるから国民主権にふさわしい国歌にするべきではないかという問題意識から出たものですが、徹底した自由主義者としての面目を躍如する勇気ある発言でした。
この発言には右翼団体が猛烈な抗議行動を展開して県庁に大挙して押し寄せ(69団体、123台の街宣車)、2月17日には高知市鷹匠町の知事公邸に「大行社」の街宣車が突入するという事件まで起こりましたが、自由な言論を暴力的に圧殺する右翼団体の無法には、県民的な批判が巻き起こりました。
97年1月8日。高知市の三翠園ホテルで開かれた日本共産党高知県委員会の「党旗開き」に初めて橋本知事が参加してあいさつしました。(つづく) |