2007年9月2日

新連載「橋本県政の16年 県民本位の改革の行方」
B国籍条項に自民党が猛反発

94年10月6日 高知市長選にむけ鍋島氏とコンサート
1995年11月の知事選挙を経て2期目を迎えた橋本県政には、さらに大きな変化が現れるようになります。96年2月県議会で知事は「日の丸・君が代」の公立学校での強制には反対だと答弁しました。

これは96年3月7日、自民党の谷相勝二議員の質問に答えたもので、知事はまず「日の丸を国旗とし、君が代を国歌とするという認識は、広く国民の間に定着している。これからの国際化の時代の中で、児童・生徒にすべての国の国旗と国歌を敬うことが国際上の儀礼であることを教えるのは当然」との認識を表明したうえで、「だからといって、選択肢のない公立の義務教育の中で子供たちに日の丸と君が代を強制することには個人として私は反対だ。そうした対立にエネルギーを割くより、教育としてなすべきことは数多くある。何よりもこの国を子供たちが本当に愛してくれるような国にすることが、政治家としてまずなすべきことだと思う」と述べたのです。

この知事答弁には自民党県議団が猛反発。「質問されていないのに個人的見解を述べるとは何事か」という論法で、発言の取り消しを強く求め、知事がやむを得ず私見部分を撤回しました(知事はマスコミに対し、取り消しはしたが、発言内容は今でも正しいと思っているとコメントしている)。

「国籍条項」で自治省と対立

95年の年頭会見で橋本知事は県職員採用での国籍条項撤廃への意欲を明らかにしました。理由は@法律では日本国籍以外の国籍を持つ定住外国人が地方公務員になる妨げになる規定はない、A日本は法治国家であり明文にないのに受験資格の制限を設けるのはおかしいというもの。

今日の国際化の中で受験資格を外国人に開いていくことは当然の流れですが、当時、都道府県で国籍条項を撤廃している自治体は全国どこにもなく、当時の自治省は猛烈に反発し、公務員を日本国籍を持つ者に限るということは法律に明文されていなくても「当然の法理」であると主張して条項撤廃を強く妨害したことから、議論は翌年度に繰り越され、橋本知事は95年11月の2回目の選挙では「国籍条項撤廃」を選挙公約に掲げました。

自民党県議団は自治省と歩調を合わせて徹底的に国籍条項撤廃を妨害。96年2月県議会予算委員会では「知事の理想は分かるが、国に逆らうと不利益を被るかもしれない。取り下げよ」(予算委員会で西森潮三議員の質問)という卑屈な議論まで展開して議会内の多数を持ってクレームをつける決議をあげました。

橋本知事はこのような妨害に敢然と立ち向かい、地方公務員の受験資格を決定するのは地方自治体の権限であることを強調して国の介入を拒否。「不透明な『当然の法理』は色あせており、これは誰かが手をつけなければならない。自由民権の高知にふさわしい課題であり、信念を持って取り組む」と述べ、ついに97年4月に県人事委員会は知事の意向をくみ、国籍条項の撤廃を表明するに至りました。

このような知事のリベラルな感覚と、自民党県議団の時代錯誤的な封建性とは激しく対立し、抜き差しならない段階に達していきます。片や、知事と自民党の対立が深まる中、相反して日本共産党との「共闘」が増えていきます。96年2月県議会での自民党の妨害決議に反対して梶原守光議員は「知事の判断を高く評価する。これを貫けるかどうかは地方自治と人権思想の試金石だ。自民党の妨害決議には断固反対する」と討論に立ちました。

橋本知事と日本共産党の「共闘」の先鞭をつけたのは94年10月の高知市長選挙でした。この選挙では元自治省官僚の松尾徹人氏と横山市政の継承と改革を掲げた鍋島康夫氏のたたかいとなり、日本共産党は広範な市民、橋本知事とともに鍋島氏を支援しました。(つづく)