2010年6月13日

連載「どこへ行く高知の教育」 24 なぜ減らぬ高校定員内不合格

平成22年度から県立高校入試制度が前期試験の定員を80%(一部校100%)とし、全校共通の学力試験実施を柱にした制度に変わりました。県教育委員会は入試改変の目的を「目指す高校に入学することができる制度にするため」としていましたが、うたい文句とは裏腹に、募集定員が充足していないにもかかわらず、受験生を不合格にする「定員内不合格」は依然として減らず高止まり。どこの公立高校にも入学することができない中卒生は全日制で88人(再募集)になりました。

ここ数年の全日制の定員内不合格者(再募集)は19年度99人、20年度105人、21年度94人、22年度88人。新制度においても水準が大きく変化することはありませんでした。

今日、高校進学率は95%を超え、さらに22年度から実施された授業料無償化によって高校教育の準義務教育化が進行する中、どこの高校に行くこともできない中卒生の多くはドロップアウトし、社会の不安定要因になっていくことが容易に想像されます。

すべての生徒に高校で学ぶ機会を保障し、教育を通じて成長させていくことは社会的な要請といえます。県教委高等学校課・藤中雄輔課長も「課題はある。改善が必要と認識している」と現状をよしとはしていません。にもかかわらず「定員内不合格」はなぜ減らないのでしょうか。

受験生の入学を認めるか否かは、学力検査だけでなく面接、調査書、本人の意欲などを総合的に学校が判断。定員内不合格を出す場合には、学校が県教委に事情を報告することになっていますが、「学校が決めたことを県教委がそれはだめですとは言わない」(高等学校課)というように校長の判断によるところが大。「以前はなるべくとってやろうという校長もいたが、最近はそういう校長は少ない」(県高教組・谷内康浩書記長)

定員内不合格について民主的な教育運動に携わっている教員も含め、高校関係者に話を聞くと一様に「なかなか難しい」という回答が返ってきます。

その理由は「合格させたいのは山々だが、卒業させられない。入学させたらからには卒業させなければならない」、「一部の生徒に引っ掻き回されて他の生徒に迷惑がかかる」などというもの。

また「頑張って入学させて援助してもどうしても中退は出る。しかし過程の努力は評価されず、中退者数だけを批判される。それなら最初から取らないほうがましという方向に流れる」という声も聞きました。

県高教組の谷内書記長は「どんな生徒であっても成長させるのが教師の仕事であり、できれば入学させたいとみんな思っているが、学校現場の実態をみれば無理もない面もある。教師としての力のなさを自ら認めているようなもので悩ましい」と話します。定員内不合格が減らない背景には、「取りたいけれど取れない」という実態が現場にあり、教員を批判するだけでは本質的な改善ができないことが見えてきます。

高知県の場合、高知市と周辺以外の多くの高校で受験生が定員を割っている状況が広くあることから、仮に定員内不合格を出さないことにすれば、地域的なアンバランスを考慮しなければ事実上の全員入学になりますが、全員入学は高校現場に根強い「適格者主義」(※)からはみ出すこととなり、これを踏み越えるには思い切った発想の転換が不可欠です。

ところが今回の入試制度改変について議論した「高等学校教育問題検討委員会」でも定員内不合格についての論点は皆無。適格者主義を踏み越える土壌が醸成されているとはいいがたく、「定員に満たなければ無条件に高校に入れることが、子どもにとってよいことなのか。なるだけ減らす努力はするが、全員入学ということはできない。中学校と協力して最低限の学力をつけてもらえるようすることが大事だ」(藤中課長)という考え方が支配的です。

しかし、困難な課題を抱える15歳の子どもが、そのような状態にあるのは、家庭の経済的状況や教育環境によるところが大きく、子どもの自己責任だけで片付けられるものではないはず。95%を超える進学率と授業料無償化の中で、「高校課程を履修できないおそれ」という見込みで、門前払いを続けることが許されるのでしょうか。生徒の学びを支えるため公立高校が果たすべき役割が一層重くなる中、現場教員の努力とともに、「適格者主義」を乗り越える学校内外の議論、困難を抱える学校への教員配置や予算措置などの支援する仕組みづくりなど、すべての生徒の学習を本気で保障するための取り組みが不可欠になっています。(2010年6月13日 高知民報)

※1963年に文部省が出した「高校教育課程で履修できる見込みのないものを入学させることは適当でない」という通知が元になっている。