2009年3月8日

連載「どこへ行く高知の教育」 E松原和広・高知市教育長「多様性こそが公立校の最大の強み」
松原和広・高知市教育長
松原和広・高知市教育長に「高知市の学力」ついて聞きました。(聞き手・中田宏)。

−−高知市の子供の「知徳体」の遅れが危機的というような認識があるが。 
松原 体力と学力が全国調査で低下傾向にあるということは分かるが、徳のデータはない。生徒指導上の問題があるかもしれないが、私は高知市の子供が全国に比して悪いとは思わない。高知市の教育をなんとかしたいという熱意の表現の違いだろう。ただ、このままでは公教育が保護者の信頼をなくしてしまうという危機感はある。公教育を預かる者として信頼回復のために手を打っていかなければならない。「学力」だけの反復でなく、学級のあり方、教育活動全般を子どもの視点から見直していくことが大事だ。確かに「学力」は高めなければならないが、暴力がはびこったり、いじめがある学級ではだめだ。しっかりした学級経営がなければ本当の学力はつかない。

−−高知の子どもの良いところは。

松原 良くも悪くもエネルギーがある。何かをやる時には、すごい能力を発揮する。やる時にはやる。学力も含めて子どもに多様性がある。これは公立校の強み、最大の武器だと思う。

−−単元テストや確認テストで授業時間が食われるのではないか。

松原 授業をしっかりやりながら、成績がいい子も悪い子も取り組めるような形で、「繰り返し、巻き返し」やる習熟を大事にしたいと思っているが、学校が子供の実態に合わせて考えていくことだ。

−−「繰り返し、巻き返し」がスローガンなのか。

松原 そうだ。「東大にいけるような学力が必要」というつもりはあまりない。基礎基本を「繰り返し、巻き返し」やる。

−−強要のようなニュアンスにもとれるが。

松原 そんなことはない。繰り返し、巻き返し、根気強くということだ。基礎基本がないと、やる気になっても、なかなか戻ることができない。テストばかりで大変という声もある。それもあるかもしれないが、基礎基本が身についてないほうが、これからの厳しい世の中でもっと大変だ。

−−点数を上げるためのドーピングではないのか

松原 違う。基礎基本を定着させるための昔からのツールだ。子どもが掛け算を覚えはじめの時に、お父さんが風呂で「七の段いうてみいや」と言うようなもの。九九をそらでいえるのが習熟した段階だ。基礎基本がベースにあって、考える力、学力も生まれてくる。基礎基本をしっかり身に着けるために繰り返し、巻き返し、根気強く、粘り強くやっていく。

−−子どもの困難には経済的な問題が背景にある。来年度、就学援助を切り下げずに堅持すると聞いてうれしく思ったが、県教委には教育費を支える観点が希薄だ。

松原 義務教育の子供たちを預かっている我々との距離感は当然ある。地教委なら心配な子どもの名前が浮かぶ。経済的に厳しい状況があることはよくわかるが、教育行政にある者は、そういう原因があるにせよ、教育面から学力にアプローチしていかないと解決の糸口が見えない。貧困問題が背景にあるのだろうが、そこはあえて出さない。駆逐して乗り越えていくエネルギーは、学力をつけて希望を実現していく子どもに育てることではないか。貧困があるからといって逃げるわけにはいかない。

−−逃げるのではない。経済的な困難を踏まえた援助が大事ではないかと言っている。

松原 県教委が配置する加配にソーシャル・ワーカー的な仕事をさせることも考えている。子供の生活背景をしっかりおさえなければならない。ただ「勉強をやれ」というだけでなく、子供を支えられるように使っていくつもりだ。

−−ありのままの子供の状態から出発するのが教育の原点だ。

松原 学校が学力向上策を考える時に、最初にあるのは子供の個々の実態でなければならない。一人ひとりの学力、生き様をしっかり先生がとらえて支援しなければ子供が夢や希望を持つことにはならない。一方的にテストをどんどんやるだけでは問題は解決しない。がんがんやりすぎて数年後に学校が荒れるようなことにしてはならない。学校長が子供の実態をどうおさえるかが重要だ。

−−子供の実態と関係なく4年後に平均点を引き上げるという目標とは矛盾しないか。

松原 それは教育行政が考えること。学校はそんなことを考えなくてもよい。普通の学校づくりをしていけば、学校は落ち着き、学校が楽しいという子供が増える。これが学校の目標だ。平均点は結果として上がればよい。しっかりやるので、じっくり見てほしい。(2009年3月8日 高知民報)