2009年2月22日

連載「どこへ行く高知の教育」 D高知の学力は本当に低いのか

宮地崇夫・高知県教組委員長「反復だけで考える力はつかない」

−−全国学力・学習状況調査(以下学テ)をどうとらえているのか。

宮地 義務教育の「構造改革」。PDCAサイクル、P(プラン)は学習指導要領、D(ドゥ)は教員の実践、C(チェック)が評価。この評価に学テが入る。大きな流れをとらえないと全体が見えない。バラバラではなく、ひとつのものとしてとらえている。

文部科学省は学テを正当化するため、「子供の学習の進捗状況を知り、改善していくため」と言っているが、それならば抽出でよい。なぜ悉皆(全員)でなければならないのか。学校、市町村、県まで評価するには抽出ではまずいからだ。

−−高知の子どもの学力は本当に低いのか。

宮地 第1回目の学テは1956〜66年まで11年間やった。この時は全部が悉皆ではなかった。ここで明らかになったのは、都市と農村の学力格差だった。今度の2回の学テでは、都市と農村の差はなくなった。子供を取り巻く生活環境が全国的に均質化し、50年の間に義務教育が教育の成果を上げたからだ。教育基本法によって全国的に教育の条件整備がすすんだ。

ところが新たな格差が出てきた。家庭と地域の安定による格差。安定的な地域は学力が高く、そうでない地域は低い。校区ごとの社会的経済的背景による学力格差が明らかになった。地域が崩れている所で学校はこれ以上落ちないように下支えするのが精一杯。地域が安定している所では学校が力を発揮できる。高知の先生、秋田の先生、大阪の先生、沖縄の先生が頑張っている、力を抜いているというような問題ではない。高知県の学力は、今回の調査においても高くないが、差は50年前より詰まっている。そこをきちんととらえてほしい。

子供がどこでつまずいているのか、どこが弱いのかを研究して援助することは大切だが、そうなっていない。平均点の高さ、序列だけに関心がいき、そんな観点は飛んでいる。県教委の「緊急プラン」も「平均点が低いから上げる」だけとしか思えない。

−−平均点を上げることは可能か。

宮地 国語は家庭の教育力が大きいが、数学は取り組みをすれば点を上げやすい。数学をあげようと思えば方法はある。反復させる。単元テストなどテストを増やして、過去問をやらせれば、パターン化、マニュアル化されて点数は上がる。テストは慣れだ。

しかし、それで本当の学びになるのか。反復だけで考える力はつかない。高知には考える力を培う教育実践がある。小砂丘賞。作文に自分が感じたこと、考えたことをつづって表現し、クラスで読み合わせて友達との関係を変えていく実践だ。全国的にも高い評価をされている。そういう実践がテストに追われできなくなってくる。PDCAは産業からきており、数値化しないとチェックできないが、感じ方や表現力は数値化できない。

授業改善は絶えずしなければならないが、教育行政には「教えこむ」というトーンが強く、短期間で成果を求めてくる。知事や教育長の「4年で平均点を全国レベルに上げる」という言葉に現れている。そうするとテスト漬けで教え込むしかない。テストを否定するわけではないし、大事なことではあるが、次のステップ、展開が用意されていなければしんどい。「またテストかよ」と。時間が少しかかっても子供の声を聞いて取り組みたい。

−−知事や教育長は学テ公開を「望ましい」と言った。

宮地 「土佐の教育改革」が、まがりなりにも掲げた理念である「子供が主人公」という立場が、学テをめぐる知事や教育長の発言を聞いていたら完全に飛んでいる。権力を持つ人間の言葉の重みを知らなければならない。その観点がない。どういうメッセージを県民や教育関係者に送ろうとしているのか。「子供のため」という建前がたった2年で吹っ飛んでいるのが現実だ。

中沢卓史・高知県教育長「高知市の中学生のレベルは深刻」

−−高知の子どもは「かわいそう」か。

中沢 そう思う。特に今の高知市の中学生は学力だけでなく、公教育の中で、知徳体それぞれ大きな課題がある。教育として充分なことができていないという認識だ。到達度把握調査の五段階評価で、高知市の中学生には一、二段階が4割もいる。成績のよい生徒はもちろんいるが、大半は学習塾に行っている。最低限の学力は、学校がつけなければならない。

授業が分からない子どもは苦しい。苦しいまま教室にはいられない。ある種のニヒリズム、無関心にならないと耐えられないだろう。そういう子どもが多くいるのではないか。当然できる子もいればそうでない子もいるが、全体を底上げしなければならない。

−−機械的に平均点アップを目指すのはどうなのか。

中沢 何度も言っているが、平均点を上げるというのはあくまでも結果だ。目的ではない。良い教育をした結果としての目標がそこにある。

−−全国「体力テスト」も最低レベルだった。

中沢 まだ分析が充分ではないが、テストを受けた児童生徒が、本当に一生懸命やったのか。やっていないのではないかという仮説を立てている。子どもに一生懸命やることを教えていないことに問題がある。学テも体力テストも「てやてや」な気持ちで対応した教員がかなりいるのではないか。それは当然子どもに反映する。一生懸命、最後まで頑張ることを教えるのが大切な教育だ。学テの無答率の高さも同じで、「面倒倒くさい、もうえいわ」という子どもに育てていることは問題だ。

−−「お上」のいうとおりにならない、やる時にはやるというのが高知県民の気質ではないのか。

中沢 やる時にやればいいのだが、やる時にもできていない。高知県民はコツコツやるのが苦手というところはあるが、全部を気質のせいにしてはいけない。何事にも真剣に取り組まない人間に育ててはいないかと心配している。

−−学力は家庭の経済力とリンクしているのが現実だ。

中沢 高知県の家庭や経済な問題は、子どもの学力向上のためのマイナス要因であることは間違いない。ただ教育関係者がそのせいにしていてはいけない。学校や教育の分野でカバーできる面もあるし、今の高知県が抱えている課題を解決していくのも教育だ。経済的な問題が背景にあることは分かっているが、「そういう言い方はしなや」と。その中でできることをやらなければならない。

−−県教委に家庭の教育費負担を支援する観点は希薄だ。

中沢 生活保護や授業料減免、奨学金もある。それが充分かどうかという議論は当然あるが、一定の制度はある。ただ、このような経済状況で、このままの制度でよいのかという検討はしなければならない。

−−支援策は決して充分ではない。

中沢 財政的な制約がどうしてもあるが、金がないので高校に行けないという状況を作ってはならないという思いは持っている。

−−教育長自身の教育体験を。

中沢 南国市の大篠小出身。土佐中へ進み柔道部に入ったが、腰椎分離症で高三の時に手術のため休学した。4年かけて高校を卒業。手術後3カ月は寝たきり生活で、復学してからも学校から帰るとフラフラ。暗い高校生活だった。学校推薦で上智大法学部へ進学した。一年遅れたので浪人はできないと思っていたし、闘病生活でただでさえ数学が苦手なのに、もう国立は無理だと。柔道ばかりで勉強してなかった。親は「4年で卒業する」という条件で進学を認めてくれた。農家の長男だが、腰を痛めたのでもう農業は無理。親の面倒をみるために卒業後に高知に戻り県庁に入った。

−−「競争こそが活力の源」という考えなのか。

中沢
 そこまでの思いはないが、一定の競争がないと普通の人間は無理なので、上手く競争を使っていけばよいと思う。(2009年2月22日 高知民報)