2006年7月9日

連載 記者クラブを考える
Hクラブ開放 メディアにより温度差

新聞労連が発行している資料 クラブの開放を訴えているが、加入労組員には届いていないのが現実
地方の記者クラブの現状について、全国紙・地方紙・通信社の労働組合でつくる新聞労連の美浦克教委員長(共同通信労組)は「新聞労連は記者クラブや記者会見はあらゆるメディア・ジャーナリストに開かれていなければならないと考えている。自分も地方勤務の経験があるのでよく分かるが、記者クラブのローカルールは千差万別で、『黒板協定』をおかしいとも思わない感覚、新聞協会加盟社以外はクラブや会見への参加を認めないというような非常に硬直した実態がまだある。協会の見解すら知らない記者も多い」と話します。

今回の県政記者クラブから寄せられた回答は「クラブの総意」とはされているものの、実際にはメディアによってかなり温度差があることを感じました。

今回の連載を書くにあたって多くのメディアの関係者に取材して話を聞きましたが、その印象をまとめると、全国紙とNHKはクラブ開放に極めて消極的な一方(敵意をむき出しにする社もあった)、高知新聞やローカルテレビ局は開放を一定許容する傾向を感じました。

理由として考えられるのは、全国紙やNHKは全国至るところで記者クラブを抱えていることから享受している特権の総額が半端ではないこと。とりわけ全国紙の地方支局の体制は脆弱であることから、クラブ非加盟社の会見参加を認めていくことは、高知県だけの問題にとどまらず、記者クラブ制度を形骸化させ、ひいては新聞社の経営悪化につながり、強力な体制の地方紙に歯が立たない傾向にさらに拍車がかかることを警戒しているからと思われます。一方、「高知新聞」には「組織としての記者クラブに意味はない。記者クラブがなくなっても構わない。クラブにいても仕事にならない。クラブに横並びが強要されている」と話す記者が多くいました。

ある全国紙の支局長クラスの幹部は「記者クラブに批判があることは承知しているが、クラブがなくなれば高知新聞の一人勝ちがさらに進むだけだ。それでいいのだろうか」と、多様な情報を伝えるためには記者クラブが必要であると述べました。今回「高知民報」が問題にしたのは、クラブの廃止ではなく(新聞協会加盟社がつくる任意団体である記者クラブにも結社の自由が当然ある)、公的情報へのアクセスは、記者クラブに入っていても、いなくても差別があってはならないというシンプルなものでしたが、「クラブがなければ(形骸化すれば)、高知新聞に情報が独占される」という全国紙支局長の言い分は、「高新の一人勝ちはよくないので談合を認めよ」と言っているようなもの。自分たちに情報がこないのは困るけれど、クラブが非加盟社を排除することは構わないという手前勝手な理屈であり、国民の「知る権利」を代行する報道機関の責務を理解しているとは思えない言葉です。