2006年6月18日

連載 記者クラブを考える
F長野県 「脱・記者クラブ宣言」

その数、日本列島に八百有余とも言われる「記者クラブ」は、和を以て尊しと成す金融機関すら“護送船団方式”との決別を余儀なくされた21世紀に至るも、連綿と幅を利かす。それは本来、新聞社と通信社、放送局を構成員とする任意の親睦組織的側面を保ちながら、時として排他的な権益集団と化す可能性を拭(ぬぐ)い切れぬ。現に、世の大方の記者会見は記者クラブが主催し、その場に加盟社以外の表現者が出席するのは難しい。また、日本の新聞社と通信社
放送局が構成員の記者クラブへの便宜供与は、少なからず既得権益化している・・・。

2001年5月15日に田中康夫・長野県知事が発表した「脱・記者クラブ宣言」の一節です。

田中知事は横一線に情報を制限する現状の記者クラブを、「表現者にとってメルトダウン(原発の炉心溶融)行為」であると批判。記者室維持のための年間1500万円もの公費投入を指摘して、これまで記者クラブが独占的に常駐していた県庁の「記者室」を廃止して「表現センター」を設置。大手メディアだけでなく雑誌、ミニコミ、インターネット、フリー、政党機関紙など表現活動に携わる全ての「表現者」が平等に利用できるワーキングルームとして開放しました。

知事の会見は県主催として毎週1時間以上の会見の開催、事前に会見日程をホームページで公開、会見には全ての「表現者」の参加が可能で、氏名を名乗れば質疑応答も可という大胆な改革を断行しました。会見の内容は速やかに県ホームページ上に掲載され、映像もすべて公開されています。

鎌倉市の「記者クラブ改革」から5年後に打ち出した「脱・記者クラブ宣言」は、県庁という地方の報道活動の拠点で、既存大手メディアの既得権を剥奪した衝撃的なものでした。

この田中知事のラジカルな動きに、既存メディアでつくる「長野県政記者クラブ」は強く抵抗。とりわけ地元紙『信濃毎日』、『読売新聞』との対立は激しいものがありました。とりわけ『読売』は「脱・記者クラブ宣言」を完全に黙殺する一方で、「県庁記者クラブ 非加盟社に開放」と、さも記者クラブが自主的に非加盟社に記者室を開放したかのような記事を書いたために、田中知事に「県主催の記者会見を情報操作と言うなら『脱・記者クラブ』宣言を1行も報じないのは読売新聞の読者の知る権利を奪う情報操作だ」と指摘されました。

「脱・記者クラブ宣言」から5年。ショック療法的な手法に当初は相当な摩擦がありましたが、現在は「長野方式」は表面的にはすっかり定着。毎週の知事会見には多くのメディアが参加しています。田中知事の荒療治がなければ、何ひとつ現状は変わらなかったであろうことは、今も連綿と続いている他県の記者クラブの閉鎖性を考えあわせると明白です。「脱・記者クラブ宣言」に引っ張られる形で、日本新聞協会や新聞労連も「開かれた会見」をより踏み込んで主張するようになるなど、「宣言」の与えた影響は絶大ものがありました。