2006年6月4日

連載 記者クラブを考える
D鎌倉方式の光と影(1)

1996年、元朝日新聞記者の竹内謙・鎌倉市長が(93年から2001年まで)、市役所内の記者室の記者クラブ「鎌倉記者会」による独占使用を改めたことは記者クラブ改革の草分けとして全国的な話題になりました。竹内市長は鎌倉記者会に加盟する6社(当時)に根拠のないまま長年独占的に使用させてきた記者室を、入会していないメディアにも開放しました。竹内市長の問題意識は「一部の報道機関でつくる記者クラブが、税金で賄う市の施設を独占するのはおかしい」というものでした。

これまで記者会主催だった市長会見を市主催とし、これまでの記者室のスペースは「広報メディアセンター」として利用を希望するメディアは運営要領に従い事前登録すれば、記者クラブ加盟者と同様の扱いをされます(現在21社が登録)。

現在センターの使用は鎌倉記者会(7社)に所属する常時利用メディアと、随時利用メディアに分けられ、常時利用メディアは占有スペースが、随時利用メディアには共用の机といすが用意され、市長の記者会見は登録メディアであれば出席することができます。

鎌倉市の試みは、竹内市長が元「業界人」ということもあり、5年後の田中康夫・長野県知事の既存大手メディアの既得権を根本から剥奪するラジカルな「脱・記者クラブ宣言」の手法とは異なるものでしたが、全国で初めて記者クラブのあり方に一石を投じたことは大きな意味がありました。
 
運営要領で政党機関紙を排除

このような役割を果たした鎌倉市の取り組みですが、一方で広報メディアセンターには、報道の自由、取材の自由を侵しかねない致命的ともいえる弱点があります。それは政党機関紙、宗教機関紙、企業広報紙をメディアセンターの登録対象から除外したことです。

日本国憲法は「報道の自由」を何人にも保障しています。「報道の自由」は、国民の「知る権利」に応えるためにあるもので、民主主義の根幹をなし、株式会社である大手新聞社や放送局だけに与えられている特権ではありません。「報道の自由」は、取材の自由があってこそ成り立ちます。取材の自由は、憲法の精神に照らして充分尊重されなければなりません。

ところが鎌倉市ではセンターの運営要領で「企業の広報誌、宗教団体の機関誌、政党機関紙を除く」と明文化してセンターの登録から排除しています。この状態は市長が交代した現在も続いており、例えば日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」を鎌倉市はメディアと認めず、センターのスペース使用はもちろん、市主催の市長会見にも出ることができないというあからさまな差別と取材制限が公然と続けられています。

なぜ政党機関紙はダメなのか。理由を聞くために鎌倉市広報課に電話取材しました。まず始めに出た女性職員とのやりとり。
−なぜ政党機関紙はダメなんですか。
 メディアセンターは公共のスペースですから政党機関紙は使えません。
−政党機関紙は公共性に欠けると。
市 まあこう言っては何ですが、書いてる中身がね、偏っているというか・・・。
−それは報道の自由の侵害になりませんか。

女性職員とのやりとりはここまで。「広報課長に後ほど電話をかけさせます」。とりあえず電話は切れました。次回は山田幸文・鎌倉市広報課長が政党宗教機関紙の除外理由について話した内容を紹介します。