2006年8月13日

連載 記者クラブを考える
M記者クラブの閉鎖性

記者クラブの閉鎖性の壁は、まだまだ厚いものがありますが、端緒的とはいえ前進の芽も出てきています。本連載と併行して「高知民報」が県政記者クラブに対して行った知事会見への出席申し入れに対して、年4回の県議会前の知事会見は県主催であることが確認され、「高知民報」の参加が認められることになりました。

完全開放にはまだ遠いものではありますが、長野県を除く全国の都道府県庁で、このような事例はほとんど例がないと思われます。もっとも出席が認められたとはいえ、会見時の質問は「秋にむけて整理するので、それまで控えてもらいたい」(県広報課)とされるなど、まだ不確定な部分もあります。

この間の知事会見への高知民報の参加状況は以下のようになっています。4月27日、会見の風景を取材するということで出席。5月17日、冒頭のイージス艦についての部分だけで大部分は出席できず。6月16日、県主催の会見なので出席。7月25日、発言できないオブザーバー参加として暫定的に出席。

「参加は認めない」という県政記者クラブとしての回答がいったん出されてはいるものの、毎月の幹事になった記者も一定は柔軟に対応しようという姿勢をみせるなど、あからさまな排除はやりにくい、という複雑さがあることを示しています。

この間、「高知民報」が知事会見に参加しても、何ら不都合が起きていないのが実態であり、県政記者クラブがあくまでも会見の閉鎖にこだわるのであれば、その理由は一体何なのでしょうか。

「高知民報」は県庁2階の記者室利用について、県政記者クラブだけが独占している現状に異を唱え、クラブに加盟はしていなくても県政の取材を希望するメディアは利用できるようにすべきではないかと提起。県政記者クラブは「県の判断に従う」との見解で、県は「秋に向けて考え方を整理する時間がほしい」と一旦預かる形になっていることから、どのような考え方を示してくるのかが注目されます。

連載を続ける中で感じたのは、「記者クラブ」は閉鎖性でなければが「意味がない」ということでした。開放的な「記者クラブ」というものはあり得ず、開放されてしまえばその存在意義は失われることになります。現在、記者クラブで仕事をしている記者たちにこのような認識はないと思いますが、閉鎖性を保つことによってのみ独占的に情報を受けることができ、また様々な物質的特権を享受することができる。公権力側は、馴染みのメディアを手元に置き情報をコントロールしやすくするというのが「記者クラブ」の「本来」の機能であることを改めて実感しました。

であるからこそ、記者クラブの閉鎖性に風穴があきかねない知事会見の開放には、実態的には何の問題もなく県当局でさえ参加を認めていても、頑迷に抵抗。メディア自身が他メディアの「知る権利」を阻害するという、みっともない役回りを演じています。

これでも高知県政記者クラブは、他県の記者クラブと比べれば、かなり緩やかな部類に入るといいます(記者室に加盟社以外は立ち入り禁止というところもある)。マスコミ出身の知事の下で、県当局がどのような案を提起するのか、また県政記者クラブは再度の会見開放の要求に対し、どう回答するのでしょうか。ここはひとまず連載を置くことにします。(終わり)。