2008年3月30日

連載 続・高知市同和行政の今
K同和行政の遺物 大型作業所 

まだまだ活用が可能な「長浜第二」大型作業所
高知市ではかつて同和地区住民の就労対策=仕事保障として、行政が税金で作業所を建て、民間企業に無料で貸し出していた時期がありました。

1975年には「朝倉大型作業所」が操業開始、78年に「長浜大型作業所」、90年に「長浜第二大型作業所」がオープン。建設にかかった費用は「朝倉」6842万円、「長浜」6545万円、「長浜第二」に至っては3億1000万円という巨費が投じられています。

作業所の土地建物はもちろん、電気設備、給排水設備、空調設備、ミシンなどの設備まで全部を行政が用意して企業に無料で貸し出していました。その代わりに、市長が推薦した「真に部落解放を願う地域住民のうち」の就労に恵まれない者(高知市大型作業所設置条例施行規則の記載、現在は字句が変更されている)を企業が雇用することで、同和地区の雇用を改善するというものでした。

「朝倉」は「企業組合解放センター高知ソーイング」が管理運営を受託、「長浜」では「長浜ニット株式会社」が操業しますが、繊維業界は構造的な不況産業。いかに設備投資や使用料が無料であっても、経営は苦しく次々と経営が破綻します。

「朝倉」では94年から「土佐電子」(電子回路のプリント基盤加工・組立・検査、液晶パネルの加工・検査などを行う企業)が、無料で使用(旧春野町弘岡下にも同様の作業所がある)しています。同和・人権啓発課は「今、作業所を使っている企業は同和対策や地元雇用と直接の関係はない。何も使われないよりましなので使ってもらっている」というように、設置目的は完全に形骸化しており、市有財産を特定企業に無料で貸し続けることはいかにも不自然。使用している企業への売却など、適正な整理が求められています。

使途のない長浜大型作業所

バイパスに接して交通の便のよい「朝倉」とは異なり、長浜の2つの作業所は、活用がほとんどされていません。

78年に建てられた「長浜」では、「長浜ニット株式会社」が操業開始から6年で企業閉鎖(84年)。続いて「名賀繊維」が同年から94年まで操業しましたが、それ以降は使い道がまったくない状態。海が近いこともあり外装に錆が目立ち、老朽化がすすんでいます。

「長浜第二」は90年建設。床面積は200坪もあり、3億円以上の税金が投入されています。当時を知る関係者によると「ビカロという大阪の紳士服メーカーを呼ぶため大金をかけて、新しく作業所を建て、ミシンも揃えたが、すぐに撤退されてしまった」(ビカロの操業は90年〜97年)。わずかな期間しか使われない施設に巨費を投じた当時の市行政の責任は重大です。「長浜第二」は、全面フローリング張りの立派な建物で、使用期間が短いため、まだまだ活用が可能。現在は部落解放同盟高知市連絡協議会と一体の関係にある高知市労働事業協会が経営する介護保険事業者「やさしいグループ」が一部を使用しています。

ミシン処分に500万円支出

同和・人権啓発課は高知市議会3月定例会に19年度補正予算として500万円余を提出。使途はミシン159台の売却に伴う国と県への補助金返還でした。

高知市は作業所に設置するための工業用ミシンを、国県の補助金を受けて大量に購入したものの、企業の撤退により、使われないミシンが市財産として残されてしまい、長浜の作業所内で保管していました。

使うあてのないミシンであれば処分すればよさそうなものですが、そこで問題になるのが補助金返還。これらのミシンは使用年数がわずかで耐用年数に達しておらず、処分するには残存する耐用年数分の補助金(約1000万円)を国県に返還する必要があることから、市は処分することもできないまま今日まで先送りしてきた経過があります。

現在、高知市は使われていない作業所を、旧同和地区とは無関係な福祉団体に貸し出すなど新たな活用策を模索していることから、そのためにスペースを占有しているミシンを撤去しなければならなくなり、今回の補正予算となりました。

「ミシンは競売にかけて500万円で売れた。補助金返還の総額は約1000万円なので、差額の500万円を補正した。全部のミシンを処分したかったが、予算が捻出できず5台残った。作業所の土地建物も処分したいが、やはり補助金返還がネックになっている」(上野昇一・同和・人権啓発課長)

多額の税金を投入した施設やミシンがまともに活用されていないことへの責任は免れませんが、一方で同和行政を引きずる「遺物」を処分していくのは当然の方向でもあります。にもかかわらず同和行政から脱却しようとすれば、多額の補助金を返還しなければならない実態は同和行政を全廃した国や県の姿勢とも矛盾するものです。(2008年3月30日 高知民報)