2007年7月22日

連載 高知市同和行政の今
31 同和行政終結が問題解決の鍵(最終回)

旧同和向け公営住宅では、住民の多様性が失われ階層の固定化がおきている

昨年秋から9カ月間にわたって続けてきた連載も30回を超えましたので、ひとまずここで置くことにします。

これまで高知市の「同和行政」に問題点があることは分かっていましたが、その詳細の分析はされておらず、「同和行政」の全容を明らかにするためには自ら調べるしかありませんでした。

この連載には大きな反響がありました。市民から実態を告発する数々の情報提供と同時に、市同和対策課(当時)からは「この表現は差別的だ」など脅しのような電話がかかっていくる一方、取材先では市職員から「よう調べて書いちゅうね」と激励を受けることも度々。心ある職員は現状をよしとしていないということを実感しました。

取材では何度となく「旧同和地区」を歩き、同和関連施設を見て回って多くの市職員や住民から話を聞きました。

現在、旧地区内に地区外と比して問題がないのかといえば、あるというのが実感です。ただし、それは封建制の残存物としての因習的な「部落差別」によるものではなく、大半が行きすぎた「同和行政」の継続によって壁が作られ、問題が再生産されているものであるからだと感じました。

たとえば公営住宅は「旧同和地区」内に集中的に配置され、入居を市全体からではなく実質的に旧地区内だけに限って募集するという閉鎖的な手法が今日も続いていることから、住民の多様性が失われ、収入の高い層は地区外へ出て行き、収入の低い特定の階層が地区内に固定化してしまう現象が生まれています。

「市民会館」や「児童館」、「子ども会」など市の費用負担によって個人負担が無料のサービスに依存し、住民の自立が妨げられている側面もあります。

また同和関係者の保育所優先入所、「促進学級」という名の市教委による地区児童への事前特別テスト学習、「仕事保障」という名での「同和4団体」への特命随意契約による年間2億円以上の清掃・警備業務の委託など、市民感覚と大きくかけ離れた「逆差別」的な実態はまだ多く残されており、これが「解同」の「確認糾弾」路線によって市民に植え付けられた忌避意識とあいまって壁を作り、新たな偏見の要因になっています。

すなわち今日存在している「同和問題」の多くは、実は「同和問題」ではなく「同和行政問題」であるというのが本質であり、「同和行政」によって人為的に作り出されている問題であるのだから、「同和行政」を続ければいつまでも問題は残りますが、やめることによって住民間の融合がすすみ問題解決への展望が生まれてくると考えます。

市政の中心課題

平成13年度末を持って同和行政を根拠付ける法律はすべて失効しましたが、松尾徹人前市長が温存した「同和行政」を引き継いだ岡崎誠也市長は、「同和行政」のトータル予算を漸減させてはいるものの、同和団体に毅然とした対応をとることができず、根本的に転換する姿勢は見えません。

高知市の「同和行政」の問題点は、「同和」だけにとどまらない重大な意味を持ちます。声の大きい者に弱い不公正な市政の象徴であり、これを正し解決していくことは市政改革の最も重要な課題の一つであるといえます。「同和行政」転換のためにはトップの姿勢が決定的ですが、6月市議会で高知市政の現状を象徴する光景がありました。

6月25日の個人質問。4月の市議選で初当選した「解同」市協の組織内候補・竹内千賀子議員の質問に森田益子議長をはじめ「解同」関係者数十人で傍聴席が埋まりました。森田氏が議会の傍聴に来たこの日は、議会棟の雰囲気がいつもと違いました。廊下をゆっくり議場に向かう森田氏の周囲に市幹部が続々と駆け寄って声をかけ、あたかも首相の「ぶらさがり取材」のような状態。

さらに驚いたのは竹内議員の質問終了後、閉会した議場で岡崎市長が最前列の執行部席から最後列まで走りより、傍聴席にいる森田氏と両手で抱き合わんばかりに握手をしたこと。「ごぶさたしてます」、「あんたやりゆうかね」。

この事実を市役所の幹部に伝えると「トップがそういうことをするものではない。部下は見ている」と苦々しくつぶやきました。 「同和行政」の終結にむけて、@「同和行政」の実態を広く市民に明らかにし、現場から不公正な「同和行政」へ声を上げていく、A「同和行政」終結を目標にした市民運動の再構築を柱に、平成21年度中に作業が始まると思われる次期「同和行政見直し」に向けた取り組みを強めていくことが必要です。「同和問題」解決の最終局面にふさわしい取り組みが求められています。 (2007年7月22日 高知民報・中田宏)