2007年4月22日

連載 高知市同和行政の今
20 同和教育の現状(2)

教材のストーリーは、パンをハトに話しかけながら与える一見優しそうなおじいさんが、実は「差別心」の持ち主であり、部落問題について学校で学んだ被差別部落出身の女子高生が「差別を見抜いて」たたかうという筋立てになっています。

この教材を掲載していた平成7年版の「同和教育指導資料」には、指導目標についてこのように書かれていました。

@おじいさんの姿を通して、差別のみにくさ、愚かさを知る。

A女子高生の姿を通して差別への怒り、差別に対する力のみなもとは解放学習であることを知る。

背景には「部落民以外はすべて差別者」という「解同」朝田理論の影響を見ることができます。

追手前高校部落問題研究部を1980年代に指導していたN氏(すでに退職している)よると「1985年頃、生徒の体験を元に教材化することにした。おじいさんがハトにエサをやるくだりは知らない。後から付け加えられているのではないか。この教材が今どのような使い方をされているかも知らない」。

この教材が県教委の資料集に採用されたいきさつについて調べるため、当時の県教委幹部(現在県人権教育研究協議会会長)に「資料集について聞きたい」と取材を申し込みましたが、「とにかく時間がない。来てもらっては困る」という一点張りで応じてもらえませんでした。

不足する教材

いまどき、なぜこのような教材を使った授業が行われるのかを、高知市教委人権教育課に聞いてみました。担当者は「確かに時代にあった教材を使うことは大切だと思う。県教委が同和教育資料を新たに作ることをやめており、学校には同和教育の新しい教材がない。教材になる資料はないかという問い合わせが学校から市教委に寄せられることもある。教材が学校にないために人権主任が古い資料を探し出してきて使ったのではないか」。

教材がないということは、生徒に同和問題に起因する課題が存在していないからに他なりません。このような時代錯誤も甚だしい教材を授業で使うことに現場の教員たちは違和感を覚えないのでしょうか。

「(部落民は)目をみたら分かる、毛深い、人種が違うなどと書かれた文書を発達途上の中学2年生に使うことは、偏見を植え付けかねない。授業に使うことにふさわしくないと思わないか」とある教員に問うと、今の学校に部落問題に起因する課題はないということでは認識が一致するものの、「今は関係ないかもしれないが、将来差別に出会った時のために学校で教えておかなければならない」という回答が返ってきました。一方で、この教員に「これからの子供には、特別に『部落問題』の勉強をしなくても、相手の立場を思いやれる気持ちさえあれば大丈夫ではないか」と指摘すると「そのとおりだと思う」とも。

以前とは違い、尖兵役の同和主任や市教委が「同和教育」をゴリ押しするような実態は学校現場には見あたらず、生徒の中で部落問題に関する落書きや発言があっても、「解同」が学校に乗り込んで確認学習会をするようなこともなく基本的に学校の内部で自主的に解決しています。しかしながら、子供のことをまじめに考えている教員でも、こと同和教育の問題になると、とたんに旧来のステレオタイプ的発想しかできず、子供の実態と社会常識からも乖離し、県教委や市教委でさえ難色を示す教材を使ってしまうのが今日の学校の実態です。