2006年11月5日

連載 高知市同和行政の今
@県下で唯一の同和対策課

  高知市同和対策課。となりには人権啓発課も

奈良市や大阪市、京都市などで部落解放同盟のいいなりになり主体性を失った同和行政の膿が噴出するスキャンダルな事件が相次いでいますが、高知市の同和行政の現状はどうなっているのでしょうか。2002年3月、同和対策の根拠法が完全失効してからも高知市では、同和対策課が残され、「一般対策の中で同和問題の解決を図っていく」というスタンスで同和行政が今日も取り組まれていますが、その実態は市民にほとんど知られていません。高知市で今どんな同和行政が実施されているのか。シリーズでレポートしていきます。

岡崎誠也・高知市長の同和問題への認識は以下のようなものです。

 「同和地区に対します差別意識は一定薄らいでいるものと考えますが、就労や教育等の面において依然として厳しい現実があるというふうに認識をしております」(2005年9月議会での答弁)、「これまでの対策事業でハード面では一定の成果を得ることができましたが、教育や就労,啓発、福祉等のソフト面ではまだ課題が残っているという総括を平成14年2月に行い、引き続き同和問題の解決には行政の責務があるという基本認識に立ち・県等の動向も踏まえながら一般対策事業として29項目の事務を一般対策事業に移行し、継続してきているところ」(2006年6月議会)

同和行政とは

同和行政は「同和対策事業特別措置法」(1969年)に基づき(地方では先行して取り組んでいた)本格的にスタート。高知市でも当時劣悪な状態におかれていた被差別部落を「同和地区」として線引きし、地区内の道路や住宅環境の改善などに集中的な投資を行ってきました。また大型共同作業場による就労対策、職業対策や低廉な住居費用、奨学金などの個人を対象にした給付事業も数多く存在しました。

個人給付事業は基本的に「属地属人主義」(地区内に居住しても部落関係者と認定されなければ対象にならない)で取り組まれてきたことから、行政は同和関係者を把握しなければなりませんでした。

同和対策の裏付けになる法律は、その後延長されて2001度末まで30年間以上続き、「その結果、住環境を中心としたハード事業については、相当な成果を得て、教育・啓発・就労・福祉等ソフト事業についても一定の成果を得た」と高知市同和対策課自身が言う到達を築きました。

2001年度末、同和対策の根拠法が失効した後は、同和行政を実施するために引かれていた地区の線引きは無効となり、「同和地区」は存在しなくなりました。また行政が同和関係者を特定することも許されなくなりました。

しかし、高知市は冒頭紹介したように、「地区の線引きはなくなっても部落差別はなくならない。差別は依然として深刻」というスタンスであり、「同和地区」が存在しないにもかかわらず、同和対策課という組織を県内で唯一温存して、一般対策の中で事実上の「同和行政」に取り組んでいます。(つづく)