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三度目の初登庁後、記者に囲まれ得る尾﨑知事(10月30日13時11分) |
10月29日夕、連続2回目の無投票で3選を決めた尾崎は、翌30日には早速県政に復帰して動き始め、課長級以上の県職員を集めた講話では、「地産外商で見え始めた成果を好循環のループに乗せていく取り組み」を改めて強調した。
尾崎は今回の選挙が告示される直前10月15日に、報道陣の共同インタビューに答えているが、ここで12年前に財務省官僚を辞して高知県知事選に立候補するに至った経過や思いを語った。
尾﨑 経過は複雑かつ単純で、 10代の頃に「龍馬がゆく」を読んで本当に政治家になりたいと思っていた。20代までは政治家希望だった。
30代で結婚して子供が生まれ、アジア通貨危機真っ盛りのインドネシアで3年間仕事をして、財務省に帰って主計局で予算編成の仕事に没頭しているうち、妻も子供ができて安定指向になってきたこともあって、東京に家を買って本格的に暮らす態勢になった。私としては東京で行政官として仕事をして歳を重ねるのかなと思っていた。
(初出馬した2007年の)1期前にも知事選に出ないかと、ある方に言われて即座に断ったことがあった。いろんな人からちょこちょこと「地方自治に興味ありますか」などと言われたりすることもあったが、とてもじゃないが本当の話になるとは思っていなかった。
(12年前に)「意中の人」騒動があり、告示2カ月位前に意中の人と言われてきた十河清・副知事が、「やっぱり立候補しないらしいぞ」ということになり、それから一気に急激に私のところに民間、政党のみなさんからも話をいただくようになった。
かなり集中的に話をいただき、もともとバックグラウンドには政治を目指す気持ちも20代くらいまであったので、そこまで言ってくれるのならと、「えいや」と決断した。
(この年の)8月頃までは知事選に出るなどとは思いもしていなかった。(出馬の話を聞き)妻は本当に驚いて泣き叫んでいた。時間が、ものすごく短かったので決断できたという感じもある。
(N)(2015年11月15日 高知民報) |