2015年11月1日

桂浜「道の駅構想」の怪@
 
黒線内が調査区域、青線が「防災道路」の予定

今夏、「唐突」に持ち上がったようにみえる桂浜「道の駅構想」。

浦戸地区の裏山を大規模に買収してゴルフの打ちっ放し場を経営する和住工業(横矢忠志代表)の関連企業が持つ土地を大規模に利用して、「防災道路」と称した市道を付け、さらに「道の駅」を作るという突拍子のない思いつきのような話である。

7月31日付の「高知新聞」紙上で構想を知った人も多いと思うが、ここに至るまでには岡崎市政による相当な準備と伏線があった。

マスタープラン

この構想が具体性を帯びて動き出したのは2014年3月、「2014高知市都市計画マスタープラン」の策定からだった。

このプランは都市計画法に定められた20年後を見据えた高知市の都市計画の基本方針を示すものであるが、東日本大震災を受け2003年以来、11年ぶりに改定されている。

多くの変更点は津波被害など地震対策に対応するためのものであるが、長浜地区の計画に、今回の「道の駅」構想とピタリと重なる形で、「高台の土地利用」、「防災道路」というキーワードが滑り込まされていた。

そして、このマスタープランが「錦の御旗」となって、その後の一連の動きにつながっていくのだった。

新風クラブ

プラン策定から半年後の2014年9月17日。高知市議会本会議で新風クラブ会派に所属する自民党公認・竹村邦夫議員が質問に立った。

竹村議員は3期目だが今期議長を務め、自民党の国政選挙などでも随所で司会を務めるなど急速に存在感を増している中堅議員で、新風クラブはもっとも岡崎市長と「距離」が近く、影響力を持つ会派でもある。

竹村議員はこの日、以下のような質問をしている。「高知海岸の防波堤が補強されても、南海地震では一定の被害は避けられず、(略)県道春野赤岡線はしばらくの間使えない状態も想定され孤立状態が考えられる。市民や観光客の避難を誘導し、命を守るため、桂浜から浦戸、長浜の丘陵に防災道路の建設が強く望まれている。この道路は平常時には桂浜をはじめ浦戸、長浜などの地域の活性化に役立て、本市の産業振興にもつながるものとして計画できないものか。(略)先ほどの防災道路を活用した市内初の道の駅を実現することだと考えるに至った」。

今日、岡崎市長が描く「道の駅構想」は、この質問にすべて含まれているといってよい。質問に対し、岡崎市長は「具体的にどういうものが可能か検討したい」と前向きな答弁をしている。

これら一連の動きをみれば、昨年9月の段階で、すでに「道の駅」構想はかなりのところまで煮詰まっていることが読み取れる。

この2カ月後の11月には浦戸連合町内会(高田谷滋会長)から、竹村質問を忠実にトレースした要望書が提出され、同年12月市議会では、またもや竹村議員が本会議で「ダメ押し」的質問(12月12日)。再度「道の駅」構想推進を求めている。

ここで岡崎市長は、「全庁的に協議、検討を進めてまいりたい」と答弁。「道の駅構想」に事実上のゴーサインが下った。(つづく)(2015年11月1日 高知民報)