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警官隊に囲まれている遺族に頼むとてもよい笑顔でポーズをとってくれた(5月2日、仁寺洞付近) |
今回のソウル訪問(2015年GW)では、セウォル号事故の遺族から直接話をじっくり聞くことができたが、アポをとっていたわけでも、ツテがあったわけでもなく、偶然の産物で幸運だった。
仁川空港からソウル市内にむかい、地下鉄光化門駅で下りて地上に出た時、李舜臣像の一帯がセウォル号事故遺族支援のシンボルカラーの黄色で埋まっているのを目の当たりにした。観光名所であるこの場所は事故から1年が経過してもセウォル号事故一色だった。
どうしても遺族の話を直に聞きたいと思い、周辺の人に「遺族はいつくるのか」と尋ねてまわるが、はっきりしない。しかたなく移動したところ、政府庁舎の前で座り込む黄色のジヤケット、剃髪した女性たちの一団に出会った。事故の遺族でつくる「4・16家族会協議」だった。
その時のこちらの恰好は、大きなリュックを背負った単身バックパッカー風で通訳もなし。ふざけているのかと叱られるかと思ったが、「日本の記者だが、話を聞きたい」と声をかけてみた。そこで、連載Bで紹介した日本語ができるキム・ソンシルに繋がり、後は比較的スムースに話が聞けた。
遺族には、世界中の人達に自分達の苦しみや韓国政府の非道ぶりを知って欲しいという要求があり、コンタクトさえ取れれば積極的に取材には応じて貰えるのだが、それでも最愛の子どもを事故で亡くした父母たちに、言葉もろくに分からない外国人が土足でズカズカ入ってよいものかという逡巡はずっとあり、彼らの気分を害するのなら引き下がろうと思っていたが、結果的には、こちらの思いを理解してくれた遺族たちがとても親切に対応してくれ、背中を押してくれた。
言葉はハングルと日本語と英語のチャンポンで、筆談やスマホの翻訳ソフトもフルに使った。ハングルは文字を読むのは比較的簡単で、単語も日本語から連想できるものも多いが、何と言っても聞き取りが難しい。
それでもなるべくハングルを使う努力をして、取材相手の名前をノートにハングルで書いて見せたりすると、すごく好感を持ってくれて、一気にコミュニケーションが進む。やはり現地の言葉を覚えるのは大切だ。
帰国してから感じるのは、日本で報じられている韓国の情報には偏りがあること。セウォル事故1周年を前後しては遺族の素顔は皆無で、警官隊との衝突ばかりが強調されていたし、7月はMERS騒動と世界遺産登録の摩擦ばかりだった。
国民の思いをくみ取り、相互理解を深める立場ではなく、センセーショナルに一部が切り取られて肥大化させられている情報が垂れ流されていることを痛感する。バイアスのかかった情報を真に受けるのではなく、直接自分で見て考え、交流することで互いの本当の姿が見えてくる。ぜひ近くて遠い隣国を訪問してみることをお薦めしたい。次回からは世界で最も戦闘的な労働組合として知られる韓国民主労総の2015年メーデーをレポートする。(写真と文=中田宏)(2015年8月9日 高知民報) |