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遺族の前に警官隊の壁が立ちふさがる
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5月2日昼、渋谷や原宿のような賑わいをみせる仁寺洞(インサドン)近くで、楯とヘルメットで武装したおびただしい警官が、黄色いジャケットのセウォル号事故の遺族を取り囲んでいた。
これに先立つ1日深夜には、遺族は民主労総の中央メーデーから流れてきた部隊と合流して、大統領官邸方面に向かおうとしたが、これを阻止しようとする警官隊は大量の警察車両を隙間なく並べ大規模なバリケードを市街地中心部に築き、大量の放水、催涙剤を遺族たちに浴びせ、ソウル中心部は騒然となった。
夜が明けて労組の部隊が去った後も、遺族は大統領官邸へ接近しようとするのだが、警官隊は問答無用で進ませない。遺族は「なぜ市民が公道を通行できないのか」と繰り返し抗議するが、それへの説明もなく、とにかく時間だけが過ぎていく。
行動している遺族の半分は母親である。警官隊に包囲されれば、抵抗しても物理的に突破は叶わない。夜を徹した行動に疲労で路面に座り込んでしまう母親もいた。
政府庁舎前で話をしたキム・ソンシルを再び見つけたので話しかけるが、取材 の時の快活さとはうってかわって意気消沈した面持ち。昨晩からの疲労と、理不尽な仕打ちへの憤りが身体中からわき上がっていた。「体調が悪いので帰る」と言うので握手して別れる。
一般の市民や観光客も、この封鎖のあおりを受け、通行ができずに困っていたが、警官への抗議だけでなく、遺族側にクレームをつけるような人もいたようだ。
闘争が長期化する中で、警官隊との衝突をことさら切り取り、「暴徒化」と報じるメディアも出てきているなど、ややもすると遺族が孤立させられるような側面もあり、より広い視野での支援の輪が必要な時期ではないかとの感想を持った。そのためにも遺族に寄り添い、素顔や思いを伝え広げていくことが大事になっていると感じたことだった。
警官隊に包囲される中で、日本語を理解する遺族として次に紹介されたのが、ダンウオン高校2年8組8番、、キムチュフンの父親・キヒョン(50歳)だった。(写真と文=中田宏)(2015年6月14日 高知民報) |