2014年10月5日

従軍慰安婦 軍関与 動かぬ証拠 馴田正満
 
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」と記されている
部分否定すべきところを全面否定して、すべてがなかったようにする。そんな奇妙な「論理」がまかり通っているのが、今の『朝日新聞』の慰安婦報道をめぐる一部マスコミの論調ではないでしょうか。

『朝日新聞』がY氏の証言にもとづいて報道してきたことを撤回、謝罪しました。しかしそれは、慰安婦が存在した事実全体から見ればごく一部の否定です。たとえばこれはどうでしょう。

2011年10月27日、平和資料館・草の家は、中曽根康弘元首相が旧海軍の主計中尉だった頃(1941年10月)、慰安所設置に積極的に関わっていた資料を、防衛庁が公開している文書の中から発見し発表しました。

資料は「海軍航空基地第二設営班資料」、第二設営班の宮地米三工営長(海軍技師)の自筆メモなどです。中曽根中尉は第二設営班の主計長でした。

それによると第二設営班矢部部隊が1942年にバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場の整備が終わったころ、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」、「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いてあります。

上陸前の地図と上陸後、民家とその周辺を接収して垣根やトイレ、組み立て家屋を設置し、天幕を張って慰安所にした地図もあります。開設した日が1942年3月11日であることも判明しました。

中曽根氏は1978年刊の回顧録『終わりなき海軍』で「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と振り返っていましたが、これを裏付けるものとなりました。

平和資料館・草の家が資料を公表したことを報道するにあたって、『朝日新聞』は中曽根康弘事務所にコメントを求めましたが、回答はありませんでした。

平和資料館・草の家も、「自身が『土人女を集め』たのか、集めるよう指示したのか」など11項目の公開質問状を中曽根氏に送りましたが黙殺されました。最後まで真実を明らかにしないつもりでしょう。

今、国際社会が問題にしているのは、慰安婦を強制連行(いわゆる狭義の)したかどうかではありません。性奴隷としての慰安婦が問われているのです。それをも全面否定したら、国際社会において大いに日本の「国益」を損なうことは明らかでしょう。(平和資料館・草の家研究員)(2014年10月5日 高知民報)