5月22日の尾ア正直知事の定例会見で、安倍晋三首相が憲法解釈の変更による集団的自衛行使容認に向けた検討を始めたことについての発言要旨を紹介します。
尾ア知事 私は集団的自衛権は一定容認すべきだと思っている。今の安全保障は国際間の協調の上で成り立っている。それによらず一国だけで自国の安全を確保しようとすると、とてつもない重武装国家になりかねないし、それでも守り切れるかどうか。国際社会の協調のネットワークにあって、その中で安全を確保するのが、一番負担も小さく、かつ安全性の高い安全保障のあり方だ。
自分は守ってもらいたいが、私はあなたのことは守りませんという理屈が本当に通用するのか。私はあなたに守ってもらう、その分応分の責任は果たすということがあってこそ、本当の意味での協調のネットワークを築くことになる。
そういう観点から集団的安全保障(ママ)は、一定容認されると思っているが、他方で大事なことは、あくまでそれは自衛の目的に限定されるべき。自衛目的に限定されることがしっかり担保されるようにすることは非常に大事だ。
憲法との関係をどう整理していくのかの議論が行われていくことになるが、解釈で一定容認できるとされる範囲と考えられるものも出てくるだろうが、それを超えるものも出てくるだろう。超えるとなったものについてまで無理して解釈で改憲するのはやるべきでない。他の条文にも影響を及ぼし、立憲主義を否定することになりかねない。それはすべきでない。
他方で解釈変更によって対応できる範囲がまったくないのかというと、そこはよくよく議論しないといけない。その余地もありうると私は思う。
憲法解釈はいろいろな点において展開されてきた。たとえば人権問題についても、時代の要請にあわせて新しい人権を、解釈で様々容認してきた歴史がある。それを一切合切否定するというのは、それはまたおかしい。解釈で容認できないものを無理して解釈で容認しようとすることだけは絶対やってはいけない。
憲法9条の要請の本質にねざした本質から派生する解釈の範囲内に入っているかどうかを厳密に議論すべきだ。9条の要請の本質とは何か。いわゆる三要件、@我が国に対する急迫不正の侵害があること、Aこれを排除するために他の適当な手段がないこと、B必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。この三要件から派生する解釈で読めるかどうかを厳密に議論すべき。
急迫不正の侵害について、今までは直接攻撃される事態と読んでいたかもしれないが、直接攻撃される事態でないAという事態が起きても、まず間違いなくBが起き、Cという我が国に対する直接攻撃が確実に起こる連鎖が確実に見込まれるのであれば、新しい科学技術、新しい国際情勢において、急迫不正の侵害と読んでも良いと考えられるかもしれない。
本来の憲法9条の要請とは何なのか。本質に照らして解釈の範囲で読み込める話なのか、明らかに超えてしまっているのかを判断し、超えないものについては、それで良しとしながら、超えるものについて、なお安全保障上必要とするのであれば改憲論議をすべきだ。その論議を国会で徹底してやってもらいたい。それが立法府の役割だ。
−−応分の責任とは。
尾ア知事 集団的自衛権を一定認めることは私は必要と思うが、どういうことが認められ、どういうものが認められないという
ことを個別具体事例に即して大いに議論してもらいたい。私自身も今、はっきり区別することはできない。
ただ我が国の頭上を弾道ミサイルがアメリカに向かって飛んで行くのを、打ち落とすことができるのに、打ち落とさないことでアメリカとの信頼関係がズタズタになる。直後に我が国にミサイルが飛んでくる、その時にアメリカは守ってくれない。そういう連鎖により最初の事象は我が国に対する急迫不正の侵害ではなかったかもしれないが、事実上後々において急迫不正の侵害にほぼ確度高く連鎖する可能性が高いものについては一定我々が役目を果たすことが必要だ。いろんな事例に即した丁寧な議論をしてもらいたい。
−−自衛隊員が命を落とすのが応分の責任か。
尾ア知事 自衛隊員が命を落とすことになるかもしれない。何といっても大事なことは、自衛隊員も含め日本国民の犠牲をいかに歴史的にみて最小に止めるかということではないか。そうなるためにやるべきことはやらなければならない。一切何もしないことが一番良いわけではない。努力をした結果として歴史的にみて日本人の、国際社会に犠牲が最も少ない道を模索すべきだ。
−−解釈変更による行使に賛成なのか。
尾ア知事 憲法解釈の変更という言葉を厳密に使わなくてはいけない。今までとまったく切り離された不連続な形で変更するのはどうかと思うが、今までの解釈から合理的に判断できる範囲内のもあるのではないか。その範囲内であれば容認できるし、明らかに今までの解釈と連続性のない議論であれば改憲すべきということになる。
私もこれはおかしいと思ったのは、集団安全保障でイラクなどに一緒になって攻めていくこと。三要件から外れている。法制懇では容認すると言ったが、総理は直後に否定したので、まあ否定されたのかなと思ったが、一定の体系の中で読めるものと、範囲を超えるものの区別をしっかりすることが重要。今までと連続した形で憲法解釈を展開していくことはありうる。変更という言葉を厳密に使わなくてはならない。いろんな変更がある。憲法解釈で許容できないものを解釈改憲だけで片付けよういうのは危険だ。歴史上の悔いを残すことになる。それをやってはいけない。(2014年6月1日 高知民報) |