コラムアンテナ 「噴飯物の私人参拝」

 
靖国神社
昨年末の安倍晋三首相の靖国神社参拝は、中国・韓国のみならずアメリカ、ASEAN、ロシア、EUなど世界から批判が湧き上がり、日本外交に取り返しのつかない汚点を残した。あれほどの国民の反対にもかかわらず強行した秘密保護法と通底する「決められる政治」の自己中心的な視野狭窄、他者の痛みや相手の立場に配慮する能力が欠落している本性が白日の下に晒された。

「同盟国」アメリカは「the United States is disappointed」という政府の公式声明を直ちに発表。「アメリカは失望した」。かつて「同盟国」のリーダーにここまで吐き捨てるような声明があっただろうか。各メディアは「異例」という言い方をしているが、「前代未聞」が実態に近い。

2006年の小泉首相参拝の時のアメリカの反応は報道官による「日本の内政問題の議論には加わらない」とのコメントにとどまったが、今回は堪忍袋の緒が切れたかのか、「調子に乗ると痛い目にあうぞ」とドスを効かせた。

ポツダム宣言や東京裁判を否定し、ひいては国際連合の否定にもつながる「靖国史観」=「太平洋戦争はルーズベルトの陰謀による自衛のための止むに止まれぬ戦争」という考え方は、ナチズム同様にアメリカはもとより、国際社会が絶対に許容しない危険思想であることにいいかげん気が付くべきだろう。

腑に落ちないのが、尾ア正直高知県知事が昨年12月27日の記者会見でこの問題について「一般論として英霊に手を合わせるのは理解できる」、「私人としての参拝」と「理解」を示したこと。

尾ア知事の県民本位の県政を貫こうとする立場は理解できるし、それが大きく変化しているとも思わないが、安倍内閣への「思考停止」は昨年来際だっている。

TPPにつながるアベノミクスの、礼賛ともいうような持ち上げぶり、安倍流の集団的自衛権容認には前のめりが過ぎる。これでは尾ア知事が掲げる県民本位の県政とも矛盾しかねず、職員からもいぶかる声が聞こえる。

ここでは「一般論」ではなく、A級戦犯を祀り、国策として戦争動員の精神的主柱としての役割を果たしてきた流れを組む「宗教」施設に、日本国首相が参拝することの是非、政教分離と戦争に向き合う根本姿勢が極めて具体的に問われているのである。それを知事は「理解」するのだろうか。

「私人」については、もはや噴飯物でしかない。一国の首相が公用車を大量のSPに警護させて「内閣総理大臣 安倍慎三」と記帳しておいて「私人」はないだろう。このことを説明した菅義偉・官房長官は会見で「内閣総理大臣たる私人としての安倍晋三という感じだったと思います・・・」と支離滅裂だった。あまりに白々しく、まともに話すことができなかったのか。

当の安倍首相は参拝後に総理大臣としての談話を発表している。私人参拝なら首相が談話を出す理由はどこにあるのか。どうしても私人と言い張りたいなら、休暇中に極秘に参拝でもしてほしい。そもそも安倍首相自らは「私人」などという言葉は使っていない。こんなことを真に受けていては知事たる者の識見が疑われてしまうのではないか。(N) (2014年1月12日 高知民報)