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秋山豊寛さん(2013年12月1日、松山市) |
12月1日、松山市で開かれた「NO NUKES えひめ」で、福島で被災した宇宙飛行士、元TBS記者・秋山豊寛さんが発言した要旨を紹介します。
私は難民だ。福島第一原発から32キロメートル地点の阿武隈山地で原木シイタケを始めた。32キロ地点は放射能はあるが、国も東電も何の保証もしない地域。3月12日に逃げ出し、転々として今は京都で大学の教員をしている。
仲間のシイタケ屋は今商売ができない。雑木林が汚染されているからだ。射性物質は大地に潜り、植物が根から吸い上げ木の中に蓄積していく。私が住んでいた田村市からシイタケの出荷は未だにない。周辺地域の山菜も採れない。
関東以東の有機農家は困っている。見通しが立たず命を絶ったものもいる。「無農薬、無化学肥料、ただし放射性物質入りで売れますか」。悪い冗談。これが原発事故だ。
福島の人は今棄てられている、モルモットのような状態。怪しげな学者がデータをとるばかり。論文のためにデータをとっている。四国の人はモルモットになるべきではない。私は学者や専門家をある程度信じていたが、事故後の体たらくはなんだ。ほとんどが自己保身と腰抜けだ。福島のお母さんがよほど勉強している。自分の子どもが危機に晒されているから。
伊方で事故があれば、愛媛県、瀬戸内海は汚染される。瀬戸内は全滅するだろう。福島より悲惨な状態になる。想像力を働かせてください。
安倍内閣は様々なことを急いでいる。何故か。原発事故を契機に、普通の人々が立ち上がることを恐れているから。集会には様々な立場の人が集まり、原発再稼動反対の一点で結びついている。結びつきを破壊することはやめよう。
30年間テレビの世界にいて、それなりに何かしたような気になっていたが、基本的に腰抜けだった。その思いでじくじくしている。体の中で恥ずかしさを一杯にしている。広瀬隆さんに「秋山さんは反原発運動では二等兵」と言われた。今日は二等兵として参加した。初心者として一歩一歩仲間を増やしていく。
原発再稼動阻止の一点で結びついて、つながりの輪を広げ、地方選挙で仲間を増やそう。国政でいいかげんな法律も修正しよう。永田町で偉そうな顔をしている連中を失業させよう。
この雨は固めの杯。雨水を舐めながら「俺たちは負けないぞ」。子や孫にこんなひどい日本を残してはいけない。
永六輔さんは世の中で一番面白い仕事は「シミ抜き屋」だと言った。仕事が完璧であればあるほどやった仕事の跡が見えない。私たちは日本に一杯シミをつけてしまった。このシミをとりのぞかなければ私は死ぬに死ねない。
阿武隈山中の有機農業の仲間は、先祖代々の土地を離れられない。「俺たちは年寄りだから土地を守るが、若い人は安全なところに行ったほうがいい」。この仲間が「東電・原子力村の連中を七代先まで祟ってやる」と呪いの言葉を壁に書いて1日10回読んでいる。こういう気持ち。
私は71歳なのに髪も黒い。何故か。怒っているからだ。怒りを持続させることが私のヘナヘナな気持ちを元気にさせてくれた。愛だけが世界を救うのではない。怒りも世界を救う契機になる。おかしいことに対する怒りを持続させよう。真剣な眼差しが人を動かす。私も一兵卒として、軍国主義といわれるかもしれませんが、一物理的存在として伊方原発再稼動阻止のために頑張りたい。(2013年12月15日 高知民報) |