近くて遠い隣国 韓国からのレポートH「復元された景福宮」

 
世界からの観光客で賑わう景福宮勤政殿
朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代に建てられた王宮・景福宮(キョンボックン)。日本で言えばさしずめ皇居のような存在であるが、多くの観光客でにぎわい、建物の内部に入ることもできる。敷地内には青瓦台(大統領官邸)もあり、ソウルのみならず、韓国を代表する景観になっている(入場料は3000ウォン、約300円)。

景福宮の近代史は、日本による朝鮮半島の植民地支配を抜きに語ることはできない。

日韓併合で朝鮮を従属させ、皇民化教育で朝鮮人民を「日本人化」させようという支配が35年間(1910年から45年)にわたり続いた(朝鮮では「日帝36年」と言う)が、その支配の本拠となった朝鮮総督府の庁舎が景福宮の中庭に建てられていた。

重厚なゴシック風、尖塔を有する荘厳な朝鮮総督府の建物は、日本の「威信」を誇示するためにこのようなデザインが必要だったのだろう。

朝鮮総督府は景福宮の前に立ちふさがり、景福宮で最も大きな建造物である勤政殿も、正面からは総督府の影に隠れて見えなくなった。朝鮮の人達にとっては屈辱のシンボルである。

1945年、日本が第二次世界大戦に敗れ、朝鮮半島が植民地支配から解放され大韓民国成立後も、旧総督府庁舎は韓国政府の庁舎、国立中央博物館として使用されてきた。

保存か、撤去かの国民的な大議論を経て、95年に旧総督府庁舎は取り壊され、景福宮の景観はほぼ復元された。

景福宮を舞台にした、日本による植民地支配の「呼び水」となった乙未事変=閔妃殺害では、土佐藩出身の陸軍軍人・楠瀬幸彦が事件にかかわっていた。また旧総督府が取り壊された解放50年記念式典(95年8月15日)には、山下正寿さんに引率された幡多高校生ゼミナールの生徒が参加している。景福宮と高知県には少なからぬ因縁がある。(写真と文・中田宏) (2013年10月20日 高知民報)