2012年4月22日

コラムアンテナ 県教委の大看板

 
節のない桧の一枚板でできた看板
高知県教育委員会が入る県庁西庁舎2階に4月から真新しい3枚の看板が掛けられた。

とりわけ目立つのが高さ150、幅40、厚さ3センチメートルの節のない桧の見事な一枚板に筆字で書かれた「県教育委員会事務局」という大看板。

これほど大きく立派な看板を県庁であまり見たことがなく、突然のことでもあったので、経過を県教委に聞いてみた。

県教委によると、板は3枚で61635円。昨年度末に教育政策課の消耗品を購入する需用費で購入している。字は県立高校の書道教員に「自主的な協力で書いてもらった」(高等学校課)とのことだった。

県教委幹部に「目印としての看板はあってよいかもしれないが、それにしても大げさだし、威圧的で権威主義的では」と投げかけてみる。

このやりとりの中で、輪郭がかなり分かってきた。昨年末、公立中教員出身で県教育界に強い影響力を持つ三石文隆県議(自民党)から「教育は形が大事。どこに事務局があるのか、どこに教育長室があるのか分からないようではいけない。桧の一枚板の看板をかけてはどうか」という提案あったのがきっかけだった。この時、三石県議は西庁舎ピロティ部分への駐輪の禁止、花壇の手入れなども併せて求めている。

確かに、県教委事務局のあるフロアは、初めて訪れる人にとって分かりやすいとはいえないのは、その通りであり看板設置を否定するものではないし、駐輪の実態は目に余る状況もあった。

だが、県民が訪問しやすいよう駐輪場を整理するのは良いとして、看板は最低限の大きさのもので構わず、貼り紙でも間伐材の板切れでも再利用すればよいわけで、わざわざ税金を投入してまで買うべきものなのだろうか。

三石県議に提案の真意を聞いた。「自転車の駐め方はひどいし、階段は薄暗く、事務局がどこにあるか分からない状態。県民から教育の仕事をする場としてふさわしくないという声を以前から聞かされており、自分もそう感じたのでお願いした。県教委が応えてくれてありがたい。板を購入したことは知らなかったが、教育にある程度の金をかけるのは当然だ」と丁寧に答えてくれた。

県立高校の現場では校舎の修繕費や庭木の枝切りのための予算も十分でなくPTAに無理な負担をさせて、本来公費で支払うべき費用を肩代わりさせている実態がある。

現場で苦労している教職員が看板を見て、予算の使われ方、県議の注文が発端という経過を聞き、どんなメッセージを受け止めるのかが心配だ。長いものには巻かれろという萎縮につながりはしないのか。

元校長に「校長室に案内板をつけるとしたら、これほど大きな物にするのか」と問うと、誰もが一様に首を横に振る。当然だろう。生徒や保護者がなるべく入りやすい配慮をするのが教育者だから。今回の看板は、教育という行為と相容れないものを感じさせられてしまい、どうにも後味の悪さが残る。考えすぎだろうか。(N)(2012年4月22日 高知民報)