「建国記念の日」の2月11日、キリスト教関係者による「信教の自由を守る高知2・11集会」が高知市の日本キリスト教団潮江教会で開かれ、戦前キリスト教を信仰していたた父親が治安維持法違反で投獄された作家の石浜みかるさんが講演。戦争を繰り返さぬため、政教分離と信教の自由が保障された社会の重要性を説きました。主催は日本キリスト教団高知分区社会部(代表・石尾英幸牧師)
講師の石浜さんは明治維新後の体制が国家神道を完成し、天皇崇拝の邪魔になる宗教(出雲系神道、仏教、キリスト教)を激しく弾圧して敗戦を迎えた経過を振り返りながら、内村鑑三や上智大生の靖国参拝拒否など抵抗した事例とともに、時流には逆らえないと牧師が神社を参拝し、礼拝中の宮城遙拝、教会内に神棚を祀りミサをするなど、国家神道に屈服したキリスト教の歴史的な事実を紹介。
「共産主義者が弾圧された時、宗教者は関心を持たなかったが、次の弾圧は宗教にきた。国家神道強制や天皇崇拝は法律により裏付けられていた。私たちは法律の変化に敏感になり、見張らなければならない。聖書の教えを知るクリスチャンには違和感を持つ感性がある。心の中の違和感を黙殺せず社会的に主張し、神様から与えられた命を大事にするための取り組みをしていこう」と呼びかけました。
ものが言える社会守る 抵抗する市民へ
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石浜みかるさん |
クリスチャンは治安維持法は自分がやられるまで、全然ピンときていませんで した。やられてもまだピンとこないような状態までありました。
自分たちが国家神道に屈服しているということは分かっていましたが、あまりにも国家と一体化してしまったので、戦争が終わった時に、本当は解放されて万々歳のはずなのに、まだ教会で宮城遙拝を続けていました。見えていなかったんですね、結局。
このような歴史を深く理解しておかないと、また同じ事を繰り返してしま
う。
再臨信仰に重きを置く人達は、イエス・キリストは再び来る、セカンドカミングがあるという信仰をしています。
それは1000年先かも分からないけれど、「主よ来たりませ」という言葉を大事にしている。そういう人達にとり、天皇の世が千代に八千代に続くことを祈る歌=天皇の賛美歌を歌いたくないという思いはあります。ものがいえる社会が変わらないようにしなければなりません。
「私は私の信仰を大事にしています。敬意をもって接してください。あなたの思想にも丁寧に接します」。
国家が「従え」と一体化を強要しなければ、このような状況を生き延びさせることができます。イスラム教徒と共産主義者であっても。
国家が「従え」と言ってきた時、「それはできない」と言えなければ、すでにかなり言えなくなってきていますが、難しい状況にはまっていく。ものが言える社会のために市民的抵抗をする人へ、私たちは変わっていかなければならないと考えています。(2012年2月19日 高知民報)
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