2012年2月5日

コラムアンテナ 北海道の悲劇は、よそ事か

 
 高知市役所第一福祉課(本文とは関係ありません)
また痛ましい事件が起きた。北海道札幌市白石区の賃貸マンションで二人暮らしの40代姉妹が生活保護を受けることが出来ず、42歳の姉が昨年12月下旬頃に脳内血腫により病死、残された中度の知的障害がある40歳の妹も今月中旬頃までに餓死同然に凍死した。

ガスも電気も止められた部屋で姉の遺体はフリースの上にジャンパーを着て発見され、妹はベッドで横たわっていた。極度にやせ細り、胃の中は空っぽだったという。

「札幌市白石区」と聞いて1987年1月、市営住宅で生活保護を「辞退」させられ餓死した39歳の母親の事件を思い出した。あろうことか25年後の同じ1月に、福祉による悲劇が繰り返されてしまった。

この事件をめぐり、隣近所の見守りネットワーク不足に主たる要因があるかのような報道があるが、問題の核心は姉妹が明らかに支援を要する状況にあることを市役所側が把握していたにもかかわらず、放置したことにある。

姉は2010年から11年夏にかけて3度も札幌市の福祉窓口を訪れ困窮を訴えているのに、支援の手が差しのべられることはなかった。両親はすでに亡く、妹の面倒を見るため同居していた姉は、脳の外科的疾患で体調が悪く仕事を見つけることができなかった。2人の収入は妹の年間100万円足らずの障害者年金がすべてだった。

この状況を聞けば、保護の緊急性が極めて高いケースであることは明らかだが、対応した札幌市白石区役所は「申請の意思がなかった」ので、そのままにしたという。

市民にとって市役所はあまり行きたい場所ではない。まして生活保護を受けるため女性が一人で出向くことは想像以上にしんどく、恐怖さえ抱く。にもかかわらず三度も窓口を自ら訪れており、切実に援助を求めていたことが読み取れる。

ここまで厳しい状態で窓口まで行き生活保護の話をしていながら、なぜ受給に進んで行かないのか.。寒い北海道であり、冬になれば生命に関わることも想像できるはずだ。

実際に窓口でどのようなやりとりがあったかは当事者が亡くなってしまった今、市側の言い分を聞く以外ないが、「今度、必要な書類を持ってくると言って帰った」と説明しているという報道からは、積極的に申請を受理しようとしなかったことが透けて見える。

生活保護申請に形式の要件はなく、本人の意思があれば申請行為は成立し、福祉事務所は14日以内に保護の可否を判断しなければならない。姉は脳疾患で失業中、障害者を抱えている状態であり、窓口で三度も対面しておきながら申請を受理しなかったこと自体が生存権を脅かす重大問題だ。

ひょっとすると本人が生活保護へのネガティブなスティグマ感(心理的嫌悪感)や「自己責任論」などから、本当に踏ん切りがつかず、保護を拒んだのかもしれない。

しかし、このケースは極めてハイリスクであることははっきりしており、生活保護にはすぐに至らなくても、障害者福祉や保健所につなげる努力をしていれば、最悪の事態は防げた。

姉妹の国民健康保険についての報道はないが、国保料も病院窓口での負担金も支払うことはできず、病院にも行けない状態であっただろう。生活保護を早く受けていれば、治療も受けられた。姉の「病死」も限りなく「福祉に殺された」側面が強い。

この悲劇は高知にとって、よそ事と言えるのだろうか。

高知市で生活保護行政に長く関わる幹部は「申請に来て、あのような状況なら、そのまま帰すようなことはあり得ない」と札幌市の対応をいぶかるが、同時に「受給者急増で大幅に職員を増やしているため、2年目の職員が新人を教えている状態。想像力が働かず、質が伴わないのが悩み」と漏らす。一方で「高知市でも、いつあってもおかしくない。市議が付いていかなれば追い返している事例はある」(同市の元ケースワーカー)という指摘もある。

札幌市にも高知市同様に、無料低額診療に取り組む医療機関があった。姉妹が、これらのネットワークとどこかで接点があれば、こんなことにはならなかったはずであり残念でならない。福祉とは、自治体とは、一体何のためにあるのかということを、改めて考えさせられる。(N)(2012年2月5日)