2011年10月2日

連載 尾崎県政の4年間 「対話と実行」は本物か 
22 病院PFI解除を決断 

PFIが解除され直営化した高知医療センター
高知県政にとって「構造改革」=「官から民」の流れが最も顕著に反映したのが、2005年に開院した高知県・高知市病院企業団立・高知医療センターP
FI事業だった。

1999年のPFI法が施行された直後から、自民党県議団を中心に導入へ大合唱が起こり、橋本大二郎・前知事が全国初の公立病院への導入に踏み出すことになる。

同事業はオリックスグループが受託し、05年3月に高知医療センターが開院するが、開院直後から目論んだコスト削減ができずに資金繰りが難渋。07年には院長がオリックス側から不当な接待や高級家具を供用されていたことが判明し、贈収賄容疑で逮捕。同年12月、高知市議会は全会一致で「PFI契約解除を視野に入れた」経営改善決議を上げた。

一方、県議会では連年知事選で橋本県政打倒が叶わなかったことへの意趣返し的な側面もあり、当初から導入に反対してきた日本共産党とともに、自民党県議団も非オリックス系企業の意をくむ議員を中心に、前知事の兄龍太郎氏の関与などを激しく指摘して、急速にPFI契約解除に傾斜していく。

07年11月、このような激動の中で就任することになった尾崎正直知事の高知医療センター問題への認識は、当初立ち後れが目立ち、PFI契約解除にも消極的だった。09年1月、同センターを経営する病院企業団が「このままではPFI事業を続けていくことが困難だ」と明言してオリックス側と対峙している時に、知事はオリックス側に譲歩するような形で「どんな見直しをしても(PFI事業を)継続できないというのは軽率」と企業団を批判した。

しかし、その後も契約解除への流れは止まらず、09年6月にオリックス側から「PFI契約を解除したい」という申し出がされるに至る。

このような事態になって、尾ア知事もこれまでの妥協的な姿勢から、「施設建設PFIで出たVFMを運営PFIで食いつぶしている。今(PFI)をやめることができれば損はない」(6月26日の記者会見)と述べて、契約解除を後押しする姿勢に転じた。

小泉政権下で財務官僚を務め、自らPFI予算に携わったことがあるという経歴、知事就任と同時並行で進行していた問題だったこともあり、前県政から転換する知事の判断に遅れ、ブレがあったことは否めないが、全体的に振り返れば、県民の声や現場職員の意見に耳を貸し「構造改革」の象徴であった病院PFI事業を解除する決断を知事が下したことは評価されるべきだろう。(つづく)(2011年10月2日 高知民報)