2011年9月11日

エコサイクルセンター開業 18年間翻弄された日高村政

廃棄物を貯めるエコサイクルセンターのプール
高知県・高知市や民間団体などで構成する財団法人「エコサイクル高知」が高岡郡日高村本村に建設していた管理型産業廃棄物処理施設・エコサイクルセンターが10月1日に開業します。

高知県政にとり、県内で発生した産業廃棄物を県内で処理する態勢づくりは至上命題。中内県政時代からの積年の課題でしたが、18年以上の歳月をかけ、ようやく開業にこぎ着けたことは、関係者はもとより、反対運動を展開してきた住民にとっても、一つの節目であることは間違いありません。

解説 日高村はこの18年間、産廃に翻弄され続けてきました。たとえ管理型処分場自体が必要なものであっても、住民合意を無視し、「地元振興費」という莫大な札束で頬を叩くような県の手法、産廃反対を掲げ当選した村長が二度も公約を翻して推進に転じたり、村議会の推進派議員が住民投票条例を頑なに拒み、成立した条例まで廃止するなど、住民自治と民主主義が踏みにじられ続けたことが村民に深い傷跡を残しました。

05年の反対論の盛り上がりは、当時の橋本県政へのバッシング、連年知事選敗北に対する自民党県議の「意趣返し」的な側面とともに、不景気と「三位一体改革」により公共事業が減少し、廃棄物の排出量の激減、リサイクル技術の急激な発達で産廃を取り巻く状況が大きく変化していることが背景にありました。

結果的には、強い反対運動のおかげで、施設規模を縮小せざるを得なくなったことが、今になれば傷を浅くしたともいえます。

当初の規模で施設が実現していれば、廃棄物は集まらず、運営費はまかなえないという大変な状況に陥っていたことは間違いなく、「焼却炉があれば運営の大赤字は避けられなかったはずだ」(高知市幹部)

10月1日には施設が完成し、ゴミ搬入も始まりますが、やはり懸念は残ります。09年には廃棄物を貯めるプール頭上の斜面に亀裂が入り、地滑りの危険が高まったため1億7000万円かけて斜面に杭を大量に打ち込み地盤のズレをくい止める工事を実施しました。

現地を見れば多くの人が、あまりの急斜面に驚かされます。将来にわたり管理が必要な産廃を安定的に保管する場所としては、どう考えても適地とは思われません。

この用地はもともと蛇紋岩採石場であり、一帯は当然蛇紋岩帯です。蛇紋岩は地滑りを起こしやすいことで知られ、あれほど急傾斜の地滑り地帯に、巨大な産廃処理施設がへばりついていることに違和感はぬぐえません。

まして3・11後の震災対策に関する議論は、当然のことながら施設の設計には反映していません。「耐震設計は震度5強だが、それ以上の揺れがきてもすぐ壊れるというものではないはず」(エコサイクル高知事務局)。

産廃建設には強い反対運動がつきものであるため、用地選定は地質的な観点よりも、とにかく建設できる場所、政治的力学がより重視されてきたのが実際。

この施設で一度事故が起これば、仁淀川への影響は必至であり、仁淀川を水源にしている高知市、いの町、土佐市の下流域住民への影響は甚大で、絶対にトラブルは避けなければなりません。

エコサイクル高知では09年から続けてきた地滑りを監視するモニタリングを「もう地滑りの兆候は見られない。開業後も監視態勢を続けるかどうか分からない」としていますが、本当にそれでいいのか懸念も残ります。

産廃反対運動に長く取り組んできた野村重夫同村議は「地震に本当に耐えることができるかなど、住民から心配の声が出ている。処分場が完成したことを受け、これからの監視のあり方を話し合っていく」と話します。

18年間の混乱の末、ようやく開業するエコサイクルセンター。住民監視を強め、とりわけ地滑り、汚染水の漏れ、震災対策、採算面などのチェックが大切になっていきます。(N)(2011年9月11日 高知民報)

日高産廃をめぐる動き

1993年 中内県政時代、日高村柱谷地区に用地を決定。
94年 財団法人エコサイクル高知設立。管理型41万立米、安定型47万立米、焼却炉を予定。事業費137億円。産廃反対の公約を掲げた正岡康男氏が村長に当選。
96年 正岡村長が産廃推進に転じたことから村長リコールがおこり同村長は辞職。日高村議会が産廃設置の是非を決定する住民投票条例を可決。出直し村長選ではリコール派に推され「投票条例の結果を尊重する」ことを公約した中野益隆氏が当選。
97年 村議会が投票条例を一度の投票もないまま廃止し、推進請願を採択。中野村長が施設受け入れ表明。
98年 村議会リコールが起こり、解散に追い込まれる。出直し選挙では推進派8、反対派6、不明2。
2000年 柱谷地区の上流域に安定型を除外した計画へと変更。管理型20万立米と焼却炉、事業費130億円。中野村長が再選。
02年 上流域案から焼却炉をやめ、事業費90億円に。隣接地・本村の採石場跡へと計画地を変更。管理型11万立米、焼却炉あり。事業費80億円。村議会が住民投票条例を再度可決するも、中野村長が「再議権」を行使し廃案に。
03年 産廃施設の可否を問う住民投票条例が可決。住民投票の結果賛成2466票、反対1621票。
04年 建設予定地付近でオオタカの営巣地が発見される。本村の採石場案の焼却炉規模を縮小する変更。事業費は70億円に。
05年 70億円の日高村への地元対策費、予定地が水源にあたることや運営採算面の不安から高知市に反対論強まる。管理型のみの縮小案へ。事業費48億円。
06年 11万立米管理型のみ、約44億円の事業計画を決定。
08年 工事中に地すべりの危険があることが判明。
09年 地滑りを防ぐために岩盤を押さえる杭を斜面に打ち込む工事を実施。
11年 開業。