2011年8月7日

届いていた「間島パルチザンの歌」 海越える国際連帯 戸田郁子『中国朝鮮族を生きる』

  槙村浩
 
中国朝鮮族を生きる 
「間島パルチザンのことを詠った日本人の詩を知っているかね。私はその詩を小学校の時に先生から聞いたことがある」。中国吉林省東部(旧満州)への朝鮮族の移住、朝鮮族による抗日運動の歴史を取材しているルポライター・戸田郁子さんが、このほど『中国朝鮮族を生きる』を岩波書店から出版しました。

本書には朝鮮・中国への日本の侵略に抗議した反戦革命詩人・槙村浩の「間島パルチザンの歌」が戦前に間島地方で語られていたという証言が載っています。

朝鮮族とは中国に居住し中国籍を持つ朝鮮民族のことで、旧満州地方、吉林省の延辺朝鮮族自治州に人口が集中しており、「間島」は同自治州と重なります。

2009年、筆者の戸田さんは延辺大教授だった朴昌c氏から、1935年頃に朝鮮総督府の管轄下にあった間島の橋東小学校の教室で「間島パルチザンの歌」を教師が朝鮮語で朗読するのを聞いたという話を聞かされます。

槙村が「間島パルチザンの歌」を発表したのは1932年4月発刊「プロレタリア文学」臨時増刊号。すぐに発禁処分になり、直後に槙村は投獄されていることから、遠く満州間島の朝鮮人小学校までどのようなルートで詩が伝わったのかは定かでありませんが、当時小学校3、4年生だった朴氏は、教師が「日本にもこの戦争に反対している人がいる。日本帝国主義と日本人民は分けて考えよと説いていた」のを覚えていました。

「間島の地で戦中に、この詩が読まれていた」。強い感銘を受けた戸田さんは2009年11月に高知を訪ね、文芸評論家の猪野睦氏、平和資料館・草の家のメンバーと面談して、間島から遠く離れた高知の地で槙村が書き上げた「間島パルチザンの歌」のバックボーンを調べています。

この時の取材を元にして、 『中国朝鮮族を生きる』では、槙村の生涯と反戦活動、高知市桜馬場にある「間島パルチザンの歌」の詩碑も写真入りで紹介。「体は牢獄に繋がれていても、槙村の詩は海を渡って間島まで届いていた」。

他に伊東柱、安重根など歴史的に大きな役割を果たした人物、抗日パルチザンで日本軍と戦い文化大革命を生き延び中国共産党幹部になった李敏、日本軍としてシベリアに抑留された元兵士、戸田さんが学費を支援した財花など様々な朝鮮族の人々の生き様が記されています。(岩波書店、2500円)

戸田郁子 1959年生まれ。作家、翻訳家。83年から韓国延世大に留学。85年から高麗大で韓国近代史を学ぶ。延辺朝鮮族自治州を中心に中国東北地方の朝鮮族の移住と定着の歴史を取材。著書に『チョルムニ 韓国の若者たち』(早川書房)、『ソウルは今日も快晴』(講談社文庫)など。韓国・軍浦市在住。

延辺朝鮮族自治州 中国吉林省東部、豆満江を挟んで北朝鮮と接しており、朝鮮族の他に漢族・満族・回族・モンゴル族などが居住。中心都市は延吉。かつて「間島」(カンド)と呼ばれた。(2011年8月7日 高知民報)