2011年7月31日

コラムアンテナ 自民党の混迷 「構造改革」の呪縛

 石破茂、稲田朋美衆院議員(7月23日RKCホール)
「なんでこんなことになってしまったのか」。 7月23日、自民党県連が主催した街頭演説、政経文化セミナーにおける石破茂・自由民主党政務調査会長の演説の冒頭の言葉。石破氏は「辞めると言ったはずなのに、ますます元気な総理大臣の顔を、国民が心底見たくない」という今の国政の状況を嘆き、「そのほとんどは自民党の責任だ」と切り出した。

2年前の政権交代については「民主党が良いというより、自民党は一度変わったほうがいい」という有権者の意思であると分析し、「自民党は長期政権にあぐらをかき、国民への感謝や畏れをなくしていた」、「国民の悲しみや悩みを、ひょっとしたら自民党は知らないのではないかという気持ちを大勢がもった」とそれなりに正確な総括を述べていた。

そして「反省しなければならない」とこうべを垂れたかに見えたのだが、話を聞いていくと、彼らの「反省」は国民の気持ちとはずいぶん乖離していることが見て取れる。

後期高齢者医療制度が不評だったのは制度は正しかったのに名前が悪かったからであり、民主党政権の所得制限なしの「こども手当」、「高速道路無料化」をやり玉にあげ、「高校を全部タダにした。いつから高校は義務教育になったんだ。大学で分数教えてる時代だよ。高校をタダにする前に、中学までちゃんと教えんか」と高校授業料無償化をののしった。

農家所得補償策については「損をしたら国が全部金を出す。そんなことをしたら誰がまじめに農業やるものか。コストを下げ、付加価値をつけるためにまめに努力した農家が金持ちになることを考えないといけない。まじめにやろうが、やるまいが同じ金がもらえるなら、誰もまじめにやるわけがない。こんなものは農業を滅ぼす政策」。

何のことはない、「反省」した結果は小泉・竹中流「構造改革」への回帰でしかなかった。

2年前の政権交代が「構造改革」による格差と貧困の拡大、地方の疲弊が原因であったことを石破氏はどうやら、まだ理解できていないようだ。

農家戸別補償策について、まったく不十分なものでしかなく「国が全部出す」などというのは事実誤認も甚だしいが、市場に任すだけでは高知県に典型的にみられる山間部など条件不利地域での農業は成り立たず、山村の維持、国土保全と国民の食料確保のために公的に下支えしていく方向は、まじめに農業を考える人たちの多くに共有されている常識だが、石破氏は競争こそが必要と今更に説く。脇で進行役をしていた武石利彦県議(県連幹事長、高岡郡選挙区)は、この話をどう聞いたのだろうか。

また石破氏は、景気が良くなったら消費税をあげるという「上げ潮派」を批判。「日本人は1人1000万円の個人資産を持っており、これを使わせなければ景気はよくならない。所得税や法人税は景気で変動するので医療介護年金は安定した消費税でみる仕組みを作っていかないと、この国の安心感を作ることはできない」と先送りせず、消費税増税を急ぐべきと強調した。

消費税を天井知らずに上げることが「安心感」であると言ってはばからないその感覚は、「国民の悲しみや悩みを自民党は知らない」と石破氏が自ら述べた言葉通りだ。

その一方で、多くの国民が高い関心を持つ大震災後の日本のあり方、命を守る政治、そして原発事故と今後のエネルギー政策の方向性について、石破氏は何も語らない。菅首相や民主党の悪口は言えても、原発は必要とも、減らすとも何も言わず逃げるだけでは政治家として失格ではないか。

結局、石破氏が言っていたのは、「構造改革」への復帰、消費税値上げ、さらに改憲と反中国など復古調イデオロギーの注入だけ。安倍・小泉政権の歩んだ道へのリプレイでしかなく、袋小路で展望がない。自民党県連がこのような話を何故ありがたがるのかも理解できない。民主党の体たらくは言うまでもないが、自民党の抱える病巣の深刻さが読み取れた。(N)(2011年7月31日 高知民報)