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2011年6月12日、大崎前教育長と討論に参加した尾ア知事(かるぽーと)
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尾ア正直県知事(以下敬称略)の教育観の根底には「一生懸命頑張る」ということにこだわる思想が強くあり、尾アが自らの青年時代を振り返って話をする時にも、「必死で頑張りましたよ」というフレーズを多用するのが印象に残る。
確かに尾アは類い希な集中力で「一生懸命頑張り」、東大に合格して大蔵省に入省。コンプレックスを抱えていたという英語など苦手な課題からも逃げず克服してきた。
「一生懸命頑張る」ことについて尾ア自身が語ったエピソードを紹介する(2011年6月12日、高知こども劇場創立40年シンポジウム)。
尾アは、東大にはとてつもなく難しい英熟語を知っている学生がいる一方、「人間関係の作り方は圧倒的に我々が優れていた。都会は人間関係が希薄。高知のほうがもっと率直で本音で友人と話をしていた」と「学力より人間関係」の強みを強調。
そして人間関係の鍵となるコミュニケーションについて「人と人のコミュニケーションってあたり前のようで、かなり大変。私自身一人っ子だったから経験があるが、初めて幼稚園行った時は怖かった。子どもがたくさんいて中に入れず母親が心配した。小学校からは泣いて帰った。人とコミュニケーションをするには、何かを乗りこえなければならない。公園デビューという言葉があるが、輪の中に入っていくのが大変だから、そういう言葉がある。輪の中に入り対話するには、何かを乗りこえる根性がいる」と持論を述べた。
もう一つは「初めてうれし泣きをしたのが小学校5年。ああ、これがうれし泣きかと。うれしいのに泣くということが、それまで分からなかったが、初めて分かった。一生懸命やって、結果が出て、ほめてもらった時に涙が出た。こういう時に人間は成長する」。
少年時代の尾アが何にうれし涙したのかは、本人に問いかけても語らなかったが、尾アの「頑張り」の原体験が、「根性」を出して人の輪に飛び込んだこと、「うれし涙」であることがシンポでの尾アの発言から読み取れる。
このように尾アの教育論では、一生懸命頑張り、うれし涙を流すという熱い成功体験が常に語られる。
一生懸命頑張って成功体験を積むことは確かに重要なことだろう。だが、高知県教育行政に重要な影響力を持つ県知事が、あまりに強調することは、画一的な価値観の持ち込みにつながりかねない懸念がある。
「頑張り」のあり方は千差万別である。東大卒元財務省官僚のサクセス・ストーリーには「言ってることはわかるんだけど、どっか上から目線なんですよね」(シンポで尾アの話を聞いた母親)と距離感を持つ者も少なくない。
尾アが懸命に努力し、輝かしいキャリアを手にしたのは、紛れのない事実であり、評価されるべきものだろうが、それは本人の資質とともに、特別に裕福ではなかったかもしれないが、経済的に一定恵まれた教育熱心な家庭という土台があってのことだろう。
現実には貧困の連鎖や諸問題で、頑張れるだけの土台がそもそもない子ども、頑張りたくても頑張れない子どもが多く存在する。また多くの子どもにとって、頑張っても成功体験には結びつかず報われないことも多い。「一生懸命頑張れ」と、熱くハッパをかけるだけでは、全体的な教育の底上げにはつながっていかないということに、もう少し思いを馳せてほしい。(つづく)(2011年7月17日 高知民報) |