2011年7月10日

連載 尾崎県政の4年間 「対話と実行は本物か」
J尾ア知事の教育体験

尾アが学んだ東大本郷キャンパス
県政の主要な柱に「教育改革」を据え、全国学力・学習状況調査の平均点を全国水準入りさせること、全国学テを軸にしたPDCAサイクルで教員や学校を管理していくことにこだわりを見せる尾ア正直知事だが、その教育観を推し量る上で、尾ア氏自身の教育体験を紹介してみたい。

尾ア氏のプライベートの情報は多くないが、2009年7月16日、県立高知追手前高生に、自らの受験体験や財務省時代の話をしている。彼の少年時代、思春期の教育体験を知る上で貴重な情報である(以下敬称略)。

尾アは土佐中・土佐高から東大、財務省に悩みなく進んだエリートのように思われているかもしれないが、順風満帆だけできたわけではない。

小学校は高知市随一のマンモス校である鴨田小出身。中学校は地元中ではなく、私立土佐中学校を受験して進学している。「小学生の頃は親に言われるまま勉強していた。しかし中学から高校に進むにつれて勉強が好きでなくなった。何のために勉強するのか分からなくなっていた時期があった」。

授業中は、教師の話を椅子の背にもたれかかって聞くような態度の生徒で、「国語と歴史が好きで数学は普通。英語が大嫌い。何でこんなにつまならない事を覚えなければならないのか、意味が分からなかった」と述懐する。

「将来どう生きていくべきかを必死で考えたが、答えが見つからなかった。将来政治家になりたいと思っていたが、毎日の勉強とは結びつかず、ダラダラして勉強に身が入らなかった」。

大学受験は英語がネックになり失敗。土佐塾予備校に通うことになるが、当時一度だけ東京の駿台予備校で講習を受ける機会があった。尾アは全国から集まった浪人生達の姿勢に衝撃を受け、「これでは二浪する」と覚悟を決めて、本気で勉強し、東大経済学部に合格する。

東大に入学してからも、学友が非常に難解な英語の熟語を知っていることに驚かされ、「みんな英語が、できることできること」。尾アにとって英語は最大のコンプレックスだった。

東大を卒業した尾アは大蔵省(当時)に就職してから後に、再び苦手な英語に挑むことになる。

26歳でアメリカに留学。「英語がしゃべれないと生きていけない。中学校の教科書をアメリカに持って行き、死ぬ気で勉強した」。

31歳から約3年間インドネシア大使館に出向した時には、「みんな英語で仕事をしている。話せなければ仕事ができない。毎日CNNやFENの録音を聞きながらシャドウイング(真似をして音読すること)を必死でやった」。

さらに大学時代にやり残し、モヤモヤしていた企業財務についての勉強を37歳から3年間、自費の通信教育で学んだという。「本当の勉強は社会人になってから。焦る必要はない」と尾アは述べる。

名門政治家の家に生まれ、東京都内の有名私立高・私大に進んだスマートな印象の強い橋本大二郎前知事と対照的な尾崎のアクの強さ、数値化されたテスト結果への強いこだわりは、このような彼の教育体験と無関係ではないだろう。尾アの教育観については次回、もう少し深めてみたい。(つづく)(2011年7月10日 高知民報)