2011年6月26日

コラムアンテナ 94歳殺人事件のやるせなさ

犯行があった夫婦宅、きれいに清掃されていた
2月、高知市で当時94歳の夫が88歳妻の病気と自らの老化に絶望して、妻を自宅寝室で絞殺した事件の裁判は何ともやりきれなかった。

首を絞めて人を殺すのは尋常でないエネルギーがいる。犯人の池春雄被告は妻に「やめて自分で死ぬるき」と言われ、一瞬ひるむが「やるしかない」と首を締め続けた。

池被告は戦前の京都帝国大卒。戦後高知県庁に入り一等級の監査委員会事務局長を務めた。家計は池被告が仕切り、妻は池被告に従い口ごたえすることはなかったという。夫婦の生活は質素そのもので、事件直前まで近くのスーパーに妻が押し車を、池被告は杖をついて買い物に行き、食パンや人参、ハムなどを買って一緒に食事の準備していたという(配食サービスは使っていない)。

世帯の年金は月額20万円以上、貯金は約5700万円あった。池被告自身は「3〜4000万円くらいと思っていた」というが、金を使えない性格だからこそ多額の貯金があったのだろう。

裁判で検事は池被告が、妻の入院で自宅への介護保険のヘルパー訪問回数が減り、自らの生活が不自由になることから妻を殺し、刑務所に入ろうとしたのだと言う。多額の貯金があるにもかかわらず身勝手な犯行で、情状酌量の余地はないと。

池被告は確かに自己中心的で人の話に耳を貸さない性格だったようだ。同時に池被告には妻のいない人生は考えらず、家の中で絶対君主であったことも、支え合う夫婦だったのも事実だろう。

検事は池被告が自ら死を選択しなかったことが身勝手さの証とも述べた。まるで「死ね」と言わんばかりに。池被告は、自ら死ななかったのは、妻の遺体を見届けて処理をしたかったからだと言う。自らの命を絶つ気力はすでに残っていなかったのかもしれない。戦前の教育を受けた池被告にとり、殺人者となることは肉体的には生きていても、死に等しく実質的な無理心中といえる。

池被告はこの歳まで何事も決定してきた。高い学歴やキャリアの影響もあっただろう。しかし、歳をとれば誰でも判断力は鈍る。頼みの息子とは疎遠で同居できず、夫婦で入れる施設も見つからない。妻の病気は次々悪くなり、自らの体力も限界で疲労困憊。近くで一緒に考えてくれる肉親が誰もおらず、絶望的に閉塞した思考で最後に下したのは「妻を殺し夫婦生活を終わりにする」という決定だった。貯金を崩して、介護保険外のサービスを利用するという判断には至らなかった。

ショッキングだったのは被告との同居を断った2人の50代の息子(山梨県と滋賀県在住)の意見陳述。彼らは池被告が、いかに自分の生のみに執着し、独善的で非人間的な性格であるかを強調し、減刑は望まない。出所しても身元引受人にはならない」と池被告の目の前で糾弾した。「自分たちにも至らないところがあった」という自己批判も、父親を少しでもいたわる言葉もなかった。この陳述に池被告は終始無言だったが、目を見開いて聞いていた表情が忘れられない。

6月17日に高知地裁の法廷で下された判決は懲役4年の実刑だった。裁判長が池被告に「あなたは4年、刑務所に入らなくてはいけません。わかりますか」と判決の内容を説明するが、耳が遠く、補聴器に頼る池被告には伝わらず「よく聞こえません」と繰り返す。弁護人が歩み寄り、耳元でかみ砕いて説明すれば理解はできるのだが、この情景が事件の背景を象徴していた。

池被告には事件を起こすまで、この弁護人のように近くで分かるまでアドバイスをする人間・キーパーソンが居なかった。94歳になっても、介護保険の折衝や施設探し、妻の病院のだんどり、将来の生活の見通しまで自ら決定しなければならなかった。その不安はいかばかりか。

このような人間関係しかないのは身から出た錆かもしれない。だが、そこまで90歳を超える老人を追い込んでしまう、この国の福祉、家族の有り様とは何なのか。

あくまでも自発的な「契約」でしかない介護保険の限界、高齢夫婦が入居できる施設の不足。実の娘など池被告をうまくコントロールできるキーパーソンが居たなら、キーパーソンがいない危険を福祉行政がしっかり認識していれば、最悪の結末にはならなかったかもしれない。4年の実刑が妥当な判決かどうかはよく分からないが、池被告は、「4年」と聞き、安堵した表情を一瞬見せた気がした。(N)(2011年6月26日 高知民報)