2011年6月12日

連載 尾崎県政の4年間 「対話と実行」は本物か
F闇融資から何を学ぶか

闇融資訴訟和解を受けて開かれた会見(2008年3月25日)
尾ア正直氏が高知県知事に就任してから4カ月後の2008年3月25日、闇融資(※)の焦げ付きにより県が被った損害を橋本大二郎前知事や県幹部経験者に賠償するよう求めていた民事訴訟が、総額2000万円を橋本氏らが私費で補填する内容の和解が高知地裁で成立した。

この裁判の決着をもって、高知県政史上最も深刻な汚点となった「闇融資」はひとまずの区切りを迎えた。同時に前県政時代に起きた事件であるとはいえ、尾ア知事が事件から何を教訓にするのか、二度と繰り返さないために、どのようなシステムを構築していくのかが問われることになった。

同日、知事室で開かれた会見で知事は「もう一度当時のことを振り返りながら、このような取り組みで十分なのか、さらには8年たった今、現在の行政環境からしてどうなのか、実際に決めたことがしっかり実行されているのか。それを検証していく。二度とこういう問題を起こさないためには不断の検証が必要だ」と述べ、外部委員による検証委員会を設置し、橋本氏らが支払う2000万円とは別に、職員にカンパを募ると話した。

尾ア知事の認識は事件後の2001年度途中から、前県政が大きく舵を切り、同和行政を全国に先駆けて撤廃し、特定団体や声の大きな者に対して毅然とした態度を貫くことを徹底、「はたらきかけ」公表制度などを運用していく大きな流れが、橋本前知事を先頭に取り組まれてきたことへの認識が、ややもすると不十分で、「総括はこれから」などゼロリセットするかのような言及もあった。

07年11月の知事選挙で尾ア氏は、橋本前県政が同和行政を終結し、「同和地区や個人を特定した施策には取り組まない」という立場を明確にし、同和団体との交渉を報道に公開するなど一連の改革に対して、不満を募らせ橋本知事と敵対していた部落解放同盟県連や同知市連絡協議会の推薦を受けていた。

尾ア知事の出陣式では自民、民主、公明などの政治家とともに、解同県連幹部である競輪競馬労組の実力者が社民党代表の肩書きでマイクを握った。

自民党県議は「はたらきかけ」制度の対象から政治家を外すことを再三求めていた。「知事が対話型で信頼に基づいて県政を運ぶのならいらない。国会議員も県会議員も市町村長、市町村議員も特定市民と同じ扱いで言質を取られるようになっている。こんな制度がいつまでもいらない」(07年4月16日、県議会総務委員会、森田英二委員)

尾ア知事は当選直後から「はたらきかけ公表制度を後退させることはない」と繰り返し述べており、さらに07年5月2日の記者会見では「政治家を対象から外すことはない」と述べ、自民党県議の要求は受け入れられなかった。

部落解放同盟との関係でも、いくらかのリップサービスはするが、実はなく、同和行政が復活する方向も見られない。団体との交渉公開など、前県政から培われてきた対応にも特段の変化は見られなかった。

つまり、自民党県議や部落解放同盟という、橋本前県政時代に「しがらみ」の対象として、県政への発言力を削がれてきた勢力が、選挙でこぞって尾崎氏の支持に回り、影響力復活を狙ったものの、尾崎氏にうまくかわされ、思うようにいっていないというような状況が見てとてれる。

2011年5月23日に10年度の「働きかけ」の集約結果が発表されたが、件数は0だった。

このことは制度が形骸化しているという見方とともに、職員に制度の精神が定着したとにより、働きかけに通じるようなことがあっても、そもそも県側が相手にしない、「抑止力」として機能しているなどの見方もでき、その意義が損なわれるものではないだろう。

※部落解放同盟県連が「同和地区住民の雇用の確保」という名目で強力に県に働きかけ県下に点在する縫製工場を協業組合化(モード・アバンセ)し、96年7月に操業を開始。総工費22億円のうち約14億円が同和対策事業の「地域改善対策高度化資金」から融資を受けた。しかし、操業前から経営の先行きを不安視する四国銀行が協力せず資金繰りがショート。県は同年9月25日にモード・アバンセだけを対象にした「地域産業高度化支援資金制度要綱」を密かに作り、合計約10億円を同組合に県費から直接融資。その後約2億円を追加するが、大半が焦げ付く。原資は他の予算からの流用。県はこの融資の存在を、高知銀行からの1日融資で残高を誤魔化す隠蔽工作をして、議会や県民に隠していた。(つづく)(2011年6月12日 高知民報)