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自席から答弁する尾ア知事(2008年3月3日、県議会) |
「低迷する高知県経済を4年間で上昇傾向に転ずる」。これが尾崎県政最大のテーマであり、この実現にむけ尾ア正直知事は2008年度当初から具体的な手を打ちはじめる。
08年度予算を提案した同年2月県議会は、07年11月末に当選した尾崎知事にとってレールがすでに敷かれてしまっている中での予算編成・人事異動にならざるをえず、「尾崎カラー」は最小限にとどまったものの、最も知事がこだわり、新県政の特徴をあらわしたのが、東京事務所職員の大幅増だった。
同事務所は07年度まで政策企画部の出先機関の位置付けで所長1、次長1、チーフ3、スタッフ9、合計14人体制だったが、08年度から新たに部長級の専任理事を配置、所長1、副所長2、チーフ8、スタッフ10で計22人体制、09年度からは総務部所属になりさらに3人が加わり25人体制にまで人員が膨れあがっている。
高知県庁全体が職員数を懸命に減らし続けている中、これほど大幅な人員増は異例であるが、東京事務所を強化するこだわりこそが県政のスタンスを忠実にあらわしている。
その特徴は官僚出身の知事らしく、国が打ち出す政策を一早くキャッチし、他県の一歩先を行き県政に取り入れる、霞ヶ関に食い込むことでツボ・勘どころをおさえた政策提言をしていくことに集約される。
この東京重視・トップダウン型ともいうべき発想は、今日の高知県の疲弊を打破していく主戦場は霞ヶ関であり、国の補助事業のメニューをどう引っ張ってくるかに主眼をおいた問題意識から出ている。
国との摩擦には、筋を通して事を荒立てるより実を取れという実利主義、プラグマチズム的色彩も感じさせる。
尾ア知事の方向感覚は、橋本前県政とは決定的に異なるもので、橋本大二郎前知事が最も重視したのは「草の根」だった。地域の「草の根」に依拠し、住民力発揮こそが高知県を底上げするエネルギーの源泉であるという感覚であり、時には国や政権党とも対峙して、世論を巻き込み味方に付けて高知県発の政策を認めさせ、不条理を正していく手法が前県政の真骨頂だった。
橋本前知事も、尾ア知事も、疲弊した県勢を立て直すために何とかしなければならないという思いは共に強いものがあるが、アプローチの方向、発想が正反対で対極的なのだ。
尾ア知事は2008年2月県議会冒頭の提案理由説明で、東京事務所増強について以下のように述べた。
知事 「国は今、地方再生を重点課題とし、政策の舵を地方重視に切り、地方の情報を求めている。地方発の政策を国の政策づくりに反映していく絶好の機会。本県の重要課題である過疎や高齢化はいずれ日本全体の課題となっていく。対応策を自ら考え、国に積極的に提言し政策に反映させていくことは本県のみならず国も求めている。提言していく上で国の動向を的確に把握し、タイミングをとらえ効果的に働きかけることが大切。東京事務所はこのような活動の拠点であるべきで、私自身も頻繁に上京して陣頭に立ち、リーダーシップを発揮していく」
この発言は「国から実をとる」ことに徹するという宣言に他ならないが、そのため尾ア知事が持つ人脈・パイプは自民党政権型の方法論でしかなく、2009年夏の政権交代で、弱点を露呈させることになるが、それは後述する。
このような尾ア知事の問題意識・方向感覚に、日本共産党・田頭文吾郎県議が08年3月10日の企画建設委員会で印象深い指摘をしているので紹介しておく。
田頭委員 「今東京事務所の体制は、どこでも減らしているのが現実の姿だ。インターネットなど、いろんな形が進んできたし、交通の便もよくなった。県民と結びつく人員を削減している時に、全国の流れからいってもやね、僕はちょっと疑問を感じる。東京にウエイトを置いて、あれだけ中央におった知事ならよ、知事が先頭に立って指揮してやるいうがやき、そしたら本人でできらあねえ。そこらあたりでね、違和感を持たざるを得んですよ。他の県もずうっと少のうにしていきよう時やから。同時に国と地方との関係で言うたらよ、今までだって1・5車線の問題、中山間支援だって、高知県が政策提言して実現されてきたわけでね、それは当然できるわけでよ。人を増やしたら予算がとれる、政策提言できるというような感じで、そこらあたりは、疑問に感じるいうことだけ言うちょきます」
田頭議員の指摘は、知事の手法を頭から否定はしないものの、地域に依拠せず国ばかり見るような姿勢に対し、疑問を呈し前のめりを諫めたものだった。
尾ア知事の、結果を急ぐ実利主義、地域に依拠するより国とのパイプに重きを置くスタイルは、県地産外商公社設立や銀座アンテナショップなど、その後の尾崎県政の重要な方向を決定付けていくことになる。(つづく)(2011年5月29日 高知民報) |