2011年5月22日

連載 尾崎県政の4年間 「対話と実行」は本物か 
Cガソリン暫定税率廃止に抵抗 

自民党国会議員らと暫定税率廃止に反対する尾ア知事(2008年1月20日)
尾ア高知県政の二面性を理解するには、県政誕生前後の政治的背景をつかむことがかかせない。

知事選投票日は2007年11月25日。4カ月前の参議院選挙で小泉「構造改革」路線に国民的な批判が高まり、自民党が改選64を37議席にして過半数割れする歴史的大敗を喫し、民主党が改選26を60議席にする大躍進。定数1の高知選挙区では元高知市議で自治労出身の武内則男氏が16万票余を得て当選する空前の“突風”が吹き荒れた選挙だった。

「自民か民主か」という選択肢しか有権者に示さないような報道が洪水のように流され、「民主党を積極的に支持するわけではないが、自民党を懲らしめるため民主党に投票する」という行動をとる有権者が多くみられた。

尾ア県政はこのような激動期のまっただ中に産声をあげた。従来型の自民党の影響を色濃く受けながらも、国民的に批判が高まる自民党政治を公然と肯定することもできず、さらには共産党を除いた「オール与党」に支持されていることから、民主党や連合労組への配慮もしなければならない。当時は「飛ぶ鳥を落とす勢い」であった民主党が打ち出す政策も批判しずらいという、微妙な立場に立たされることになった。

当選直後の2007年12月県議会で「構造改革」について知事は以下のように述べている。

尾ア知事 「構造改革」は国全体の景気回復に寄与した面もあるものの格差が生み出された。参院選の結果は「構造改革」への地方の国民の不満の現れ。霞ヶ関で仕事をしながら、本県のように中央から遠く、人口の少ない地方の実情が国に届きにくいことを実感していたし、中央が地方の多様性をとらえきれないことへのもどかしさもあった。国は地方重視へ政策の舵を切ろうとしている。この機を逃さず、霞ヶ関での経験を生かし、本県の実情を国に理解させ、地域が活力を取り戻す先頭に立つ。

このように、尾ア知事の「構造改革」への認識は概ね真っ当であり、これまでの自民党政治を肯定する発言をしていないことが見て取れる。自民党政権の影響の強い財務省官僚出身知事でありながら、民主党大躍進・自民党惨敗という時代の空気を反映した言動をせざるを得なかったのである。

このような政治的状況下で、尾ア県政が初めて立たされた政治的な試練は、「ガソリン暫定税率廃止」に代表される道路財源問題だった。

2008年春、民主党は参院選で掲げたガソリン暫定税率撤廃、道路特別会計廃止にむけた動きを強め、少なくない国民がそれを支持する状態が生まれたが、尾ア知事は自ら鉢巻きを巻き、法被を着て街頭でビラを配り、デモに参加するなど民主党政権を強く批判する行動をとった。これほどまで知事がアクティブに立ち回ったのは任期中この時だけのことだった。

当時、暫定税率廃止を最も強く批判していたのは建設業界であり、業界の代弁者である自民党=道路族だった。知事が道路族と一体化して暫定税率廃止や道路特会廃止に抗ったことに世論の風当たりは厳しく、尾ア知事自らが帯屋町でチラシを配っている時に、差し出したチラシをはねのけ「撤廃すべきだ」と食ってかかられる光景まで見られた。

尾ア知事の言動には、過疎地の立ち後れた道路改修の必要性を説くなど県民の実態を反映した切り口もありながら、主は高速道路の延伸で、災害時のルート複線化につながる県東部、西部の高速道整備に加え、高知インターから高知空港まで一部分を三階建てにして1300億円もの巨費を投ずるバブリーな計画までも推進を求める弱点を抱えていた。

自民党政治を必ずしも肯定できない尾ア県政ではあるが、こと道路問題になると自民党=道路族と一体化してバブル時代の野放図な計画さえ求めていく体質を露呈させてしまった。(つづく)(2011年5月22日 高知民報)