2011年5月1日

連載 尾崎県政の4年間 「対話と実行」は本物か 
A県政の持つ二面性 

当選を決め万歳三唱する尾ア正直氏(2007年11月29日)
2007年11月29日、財務省出身の尾ア正直氏が高知県知事に当選した。当選当時は知事としては全国最年少の40歳だった。

尾ア氏は自民・公明・民主・社民などの政党、連合や自治労・県職労、部落解放同盟などに推される布陣で選挙に臨んだ。政党からは一定の距離を置いて、草の根グループに依拠することに重きを置いた橋本大二郎・前知事とは対象的で、古典的な「共産党を除くオール与党」に担がれていた。

財務省官僚で知事選出馬直前まで大臣官房付兼内閣官房内閣総務官室総理大臣官邸事務所という、当時の自民党政権と密接な関わりを持つポジションにいた尾ア氏だが、同省を退職し、高知県に戻ったのは、知事選投票日からわずか1カ月半前の10月中旬。尾ア氏にすれば、選挙資金も態勢もすべてオール与党頼み。右も左も分からずに体一つで飛び込んだというのが実感だろう。

前県政時代には、自民党や旧社会党系県議、県職労、部落解放同盟などは、橋本前知事の「しがらみ」を排する政治スタイルと既得権益とが真正面から対立したため、「橋本叩き」を常態化させ激しく対峙していたのだが、これら「反橋本勢力」が、そっくりそのまま尾ア氏の支持母体に横滑りした形になった。

橋本前知事のスマートな「草の根」スタイルから、旧態依然ともいえる「オール与党型」布陣への転換に、有権者の反応は冷ややかで、投票率は県知事選史上最低の約45%にとどまるなど、冷めた雰囲気も一定あらわれた。

しかしながら、オール与党ら「反橋本勢力」に担がれた尾ア氏ではあるが、選挙公約の柱は「橋本県政の改革路線を継承する」というものであったことは注目された。

尾ア氏は演説で橋本氏の批判を控え、マニュフェストにも「国に高知の実状をしっかり主張し、理解させる」、「橋本県政16年間の県庁改革の成果を生かし、透明で効率的な行政を推進します」と記されていた。

このことは、「反橋本勢力」・オール与党に担がれてはいるが、圧倒的な「県庁改革後退、しがらみ復活を許さない」という県民世論の前で、「橋本県政の継承」を公約せざるえないという、尾ア県政の二面性を表していた。

尾ア氏は当選直後のテレビインタビューに答え高揚した面持ちでこう述べている。「地方分権時代のさきがけが橋本知事。国に隷属するのではなく、しっかり言うべきことは言う。それをしっかり受け継ぎたい。県庁改革も受け継いでいく。橋本知事は県民から積極的に話を聞いた。これは今後4年間継続していく」。

尾ア氏の具体的な選挙公約の柱は、@産業振興、A1・5車線化による中山間地の道路整備と高速道路の推進などインフラ整備、B全国学力テスト最下位レベルからの脱却、C日本一の健康長寿県構想、D透明で効率的な県庁改革と厳しい財政事情への対処などを県民・地域との対話を強めながら推進していくというもの。全国学テ順位へのこだわりなど弱点はありながらも、公約の全体としては、県民要求に一定応える要素を持っていた。

評価は後に譲るとして、それぞれの到達は様々であっても、産業振興計画作成、産業振興部設置や「日本一の長寿健康構想」など、尾ア氏は県民と約束した公約にこだわって、その実現に相当な努力をしてきていることが分かる。(つづく)(2011年5月1日 高知民報)