2011年2月20日

シンポ「県民・市民の声を図書館づくりに」 野田正彰・関西学院大教授が発言

県立学校校長会(1月16日、県教育センター分館)
高知県立図書館と高知市民図書館本館を追手前小学校跡地に一体的整備する合築計画に反対し、県民・高知市民加の図書館建設を求めるシンポジウムが2月13日、高知市永国寺町の県立高知女子大学で開かれ90人が参加。野田正彰・関西学院大学教授など5人のパネリストが発言に立ち、県民不在の計画を批判し、両図書館が十分機能を発揮するためには単独整備すべきであり同小跡地は市民図書館整備にとどめるべきとする意見が交わされました。新時代の図書館をつくる高知の会などの主催。

野田正彰・関西学院大教授が、お仕着せの合築ではなく、戦後の貧困の中で他施設に先駆けつくられられた高知市民図書館の伝統「市民の図書館」を生かし、市民が本のことを語り合い対話できる活動を再構築する施設にしていくことを要。

大谷英人・高知工科大教授(高知の図書館を考える県民の会代表)は、「県立は県全体の図書館行政に力を注ぐのが役割であり、立地は県全体の交通に便利で地価の安価な県遊休地などが望ましい。高知市民図書館の『市民の図書館』の伝統をどう引き継ぐかが問われている。2年3年かけて議論して初めてよい図書館ができる」と指摘しました。

田中きよむ・高知女子大教授は「トップダウンで決められ、形だけの民意反映が突貫工事ですすめられている。50年も県民市民に及ぶ図書館のあり方が、わずか数カ月で決められようとしている」と拙速な誠意スケジュールを批判し、藤本真事・南国史談会会長が「県民共有の財産である景観を破壊する建物の建設は断じて認められない」と発言しました。

会場からは「中間報告では両図書館が果たしてきた役割の総括が全くなく、狭隘化の一言で片付けられているのは問題」、「県立図書館に公文書館を併設させる声をあげていくべき」、「県と高知市だけで決めてよいのか。小さな町村の願いがつぶされないか心配(津野町民)」などの声があがりました。

シンポに参加した59歳の女性は「これまで何が争点なのか今ひとつ分からなかったが、県民・市民抜きで話がすすめられていることが問題であることが分かった」と話していました。

  
野田正彰関西学院大教授
野田正彰・関西学院大教授の発言

高知市民図書館は渡辺進館長の下、全国でも突出した特色のある運営をしてきた。子どもだった私にも熱気が伝わってきた。市民図書館が主催した読書会に連れて行ってもらったこともある。本当に感謝している。

最近どうですかと聞くと「『市民の図書館』もかつての面影はない。若い人、年寄りにも親しまれている図書館というのは過去の栄光。今は平凡な図書館です」という話だった。半世紀の間、何をしていたのかなと思う。図書館は市民の生活にとって何なのか。

本を「読む」と言うが、一番大切なことは対話。活字を読むことは一つの入り口だ。本を通じて過去の思考の回路と向き合い、現在の人が書たいろんなものに触れ、自分なりに考えるのが一番大事なこと。そして考えたことを、いろんな人と話し合い、自分とは違う印象を聞き取り、意見を発表する。それがコミュニケーションだ。

コミュニケーションがなければ、読むことには意味がない。とりわけ「自閉化」した時代に読むということが、独りよがりになっていけば、図書館の役割もなくなっていく。

渡辺館長の「市民の図書館」は、「読むことは語り合うこと」という楽しさを伝えてきた図書館だった。今では考えられないが、後免まで本を運んだり、農業指導員を乗せて農業書を運ぶことなどを積極的に提案しながら、読むことが、生活改善につながり、人とつながっていく活動をしていた。基本姿勢として人と対話するための読書が貫かれていた。
 
合築を言っている人たちがどれだけ本を読んでいるのか。県の図書予算は全国的に最低。政治や行政が、文化や教育に口出しをすることは恐ろしいということを歴史は繰り返している。すべきことをしないでイデオロギーに関与する時だ。

本を読み県民・市民と語ってきた人たちから合築が提起されてはいない。とにかく改築しなければいけないという話が出てきて、それにくっついて合築問題が出てきた。順序がごちゃ混ぜだ。

戦後の混乱の中、すべてが無かった時に、他のいかなる施設にも先駆けて、民主的で知的な高知市をめざし高知市民図書館が作られた。貧しさと荒廃のどん底の中で、最初にやったのが市民図書館だったことを、私たちは思い出さなければならない。こうした過去の伝統を知識として知って、市民が読んだ本について語り合う契機となるような場に市民図書館をしてほしい。(2011年2月20日 高知民報)